カール・グスタフ・ユング(1875年7月26日 - 1961年6月6日)は、スイスの精神科医・心理学者です。ユングは深層心理について研究し、分析心理学(通称・ユング心理学)を創始しました。

ユングは著書『記憶、夢、熟考』の中で「我が生涯の中でもっとも奇妙なできごとの一つ」について語っています。彼はこのできごとを論理的に説明しようとしましたが、最終的に出した結論は「超常現象」でした。下記は同著からの抜粋です。


私が初めてラヴェンナ(古代ローマ時代から中世にかけて繁栄したイタリアの都市)を訪れたのは1913年にさかのぼるが、その時でさえ、ガッラ・プラキディア廟堂は重要で、めったにないほど興味をそそる場所に思えた。それから20年後にそこを再訪した時も、私は同じ思いを抱いた。またしても私は、ガッラ・プラキディア廟堂の奇妙な雰囲気にのまれ、ひどく心をかき乱されたのだった。私は知人とかの地を訪れた。

私たちは廟堂からまっすぐネオニアーノ洗礼堂に向かった。そこに足を踏み入れた時、まず私を直撃したのは部屋に満ちた穏やかな青の光だった。しかし、私はその光にちっとも疑問を抱かなかった。光源が何であるのかを突きとめようとしなかったのだ。光がどこから発せられているのか検討がつかなかったのに、そのことをちっとも不思議だと思わなかったのだ。私は驚きに打たれていた。最初に訪れた時、窓が取りつけられていた場所に、今や極めて美しいモザイクのフレスコ画が描かれていたのだ。私の記憶はかくもあてにならないのか? 私がそのことに腹立たしさを覚えた。

南の壁に描かれていた絵はヨルダンでの洗礼を描いたものだった。北の壁に描かれていた二枚目の絵は、ヘブライ人たちが紅海を渡る模様を描いたものだった。東の壁にどんな絵が描かれていたかは、よく覚えていない。ネイアマン(軍隊の司令官)がヨルダンでハンセン菌を洗い流されている絵だったような気もする。西の壁に描かれた四つ目のモザイク画はもっとも見事なものだった。私たちが最後に見たのはこの絵だった。その絵は、キリストが波の下に沈んでいくペテロに手を差し伸べる姿を描いたものだった。私はペテロが水中に沈んでいくその絵をはっきりと覚えている。紺碧の海、モザイクの一片一片、ペテロとキリストの口から発せられた渦巻き模様など、その絵の詳細を今日に至るまで隅々まで思いだすことができる。

私たちは、ネオニアーノ洗礼堂から出たあと、モザイク画の写真を買うために、店に直行したが、写真は見つからなかった。ラヴェンナはちょっと立ち寄っただけであり、時間が押していたので、写真の購入は先に延ばすことにした。チューリッヒから写真を注文しようと思った。帰宅後、ラヴェンナに行く知り合いに写真を買ってきてくれるよう頼んだのだが、彼は写真を見つけられなかった。なぜなら、私が描写したモザイク画は存在しなかったからだ。

私の中でモザイク画の記憶はいまだに鮮明である。私と一緒に旅した婦人は、自分の目でしかと見たものが存在しないなどということはあり得ないと主張して譲らない。ご存知のとおり、二人の人間が同じものを見たのか、そしてどの程度まで同じだったのかを正確に判断することは難しい。しかしながら、この場合、私たちが目にしたものの中で、少なくとも主要な特徴は同じものだったと結論づけることができた。

ラヴェンナで体験したこのできごとは、私の人生で起こったできごとの中で、もっとも興味深いものの一つである。それを論理的に説明することはできない。ガッラ・プラキディア皇后が体験したできごとが、この謎にいくらかの光を投げかけるかもしれない。皇后は、真冬に最悪の天候の中で、ビザンチンからハヴェンナまで嵐の海を渡ったのだが、その時、皇后はこう決心した。「無事に目的地に到着したら、教会を建てて、海で起こりうる危機をそこで訴えることにしよう」と。彼女はこの誓いを守り、ラヴェンナにサン・ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ教会を建設し、その内部をモザイク画で装飾したのだ。中世の初期に、その教会は火事で焼失した。だが、ミラノのアンブロジアーナ図書館には、船に乗るガッラ・プラキディア皇后のスケッチ画が収蔵されている。

カール・グスタフ・ユング著『記憶、夢、熟考』より抜粋

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