

これは私が12歳のころに体験したできごとです。学校が夏休みに入っている間、オンボロの通学用バスがベリー狩りの観光バスとして使われていました(ベリーとは、イチゴ、ブルーベリー、ラズベリーなど、多肉質の小果実のことです)。
街中から32qほど離れたところにベリー園があり、その近くに水泳に適した湖がありました。そこでおいしいベリーをお腹いっぱい食べたり、泳いだりして、楽しい一日を過ごせるというわけです。そこで私は友達と一緒にバスに乗って、そこに向かいました。
ところが、ベリーを食べて水泳したあと、私はひどく気分が悪くなりました。友達に不調を訴えたのですが、「きっとベリーの食べ過ぎでお腹を壊したんだろう。しばらく横になって休んだらよくなるよ」と相手にしてくれません。でも、自分の体に深刻な異変が生じた時は、本能的に分かるものですね。私はとにかく家に帰らなければいけないと思い、バスの運転手に相談することにしました。
ところが運転手は「たった一人のためにバスを動かすことはできない。夕方になったら笛を吹いて、みんなを乗せ、街に戻るから、それまで待て」と言うばかり。「そんなに待てません。今すぐ帰りたいんです。母親に連絡したいので携帯電話を貸してくれませんか?」と頼んだのですが、「そんなものはない」と冷たい返事(当時、携帯電話は今のように普及していなかった)。
何とかして帰らなければいけないと焦っている時、野原に廃棄された線路が伸びていることに気づきました。そして私は「この線路に沿って歩いていけば、家にたどり着く」と確信したのです。友達は「線路がどこに通じているか分かったものじゃない。そんな無謀なことをするな」と反対したのですが、私は友達が止めるのも聞かず、線路に沿って歩いていきました。みんなが必死に引きとめようとしたのですが、私は聞く耳を持ちませんでした。
歩を進めるうちに、突然あたりの景色が一変し、私は線路の終わりに立っていました。そして目の前に自宅がありました。家に入ったら母親がいたのですが、母は「きっとベリーの食べ過ぎよ。スプライトを飲んでベッドで休んでいればよくなるわよ」と真剣に取り合ってくれません(アメリカの家庭では、お腹を壊した時、民間療法としてスプライトを飲むことがある)。
それでも体調は一向に回復しませんでした。しかし、母は「じゃあ、明日の朝になってもよくならなかったら、病院に行きましょう」と、相変わらずのんきに構えるばかり。「それまでに死んじゃうかもしれないよ」と訴えたのですが、結局その日のうちに病院に行くことはできませんでした。
翌朝、病院に行き、診察を受けたら、医師の顔色が変わりました。盲腸が破裂していることが判明したのです。すぐに手術が行われました。幸い、手遅れではありませんでした。
手術は無事に終わり、自宅のポーチ(屋根つき玄関)で静養している時、驚くべきことに気づきました。自宅の前に線路がなかったのです! あの日、私は病気のため意識がもうろうとしていたので、幻覚を見たのです。自宅に向かって伸びる線路などなかったのです。
それから3、4年後、私たち一家は隣町に引っ越したのですが、新居の前には線路が敷かれていました。
あの日、私に何が起きたのでしょう? 私はこんな風に思っています。「体が危険な状態になったので、私の魂が指揮権を握り、時間が奇妙な形で操作されたのではないか」と……。
・ここはちょっと変わった話が多いので、楽しませていただいています。見知らぬ外国の方の生活を垣間見れるのもいいですね。画像もステキです。ありがとうございます。これからもがんばってください。
あやこさん(2015年7月12日)