20世紀初頭に、イギリスの海運企業であるホワイト・スター・ライン社は、三隻の大型豪華客船を建造した。オリンピック、タイタニック、ブリタニックである。三隻をまとめてオリンピッククラスと呼ばれていた。

しかし、これらの三大姉妹船はいずれも大事故に遭うこととなった。オリンピックは衝突事故を起こし、タイタニックとブリタニックは沈没したのだ。これらの船に一つ残らず乗っていた女性がいる。彼女の名前はヴァイオレット・ジェソップ

大事故に遭った三隻の豪華客船に一つ残らず乗っていた女性の数奇な運命とは……?

ヴァイオレット・ジェソップは、アイルランドからアルゼンチンに移住した夫婦の間で1887年に生を受けた。

1910年、彼女が23歳の時、オリンピックで客室係として働くことになった。しかし、同船は1911年9月20日にイギリス海軍のエドガー級防護巡洋艦「ホーク」と衝突事故を起こした。オリンピックは損傷を受けたものの、沈没を免れ、死者が出ることもなかった。

1912年4月10日、24歳のジェソップは客室係としてタイタニックに乗船した。それから4日後に、タイタニックは氷山に衝突し、沈没した。彼女は救命ボートに乗り、翌朝、外洋客船・カルパチアによって救出された。

1915年、第一次大戦の勃発により、客船ブリタニックはイギリス海軍省の命により病院船として徴用され、ジェソップは客室係として船上の人となった。

同船は1916年11月12日にイギリス・サウサンプトンから出航したものの、11月21日の早い時間に船首部に触雷して損傷を受けた。ブリタニックは右側に傾斜し、船首は浸水のために沈下、最初の救命ボートの降下作業が始まった時には、すでに船尾が持ち上がりつつあり、スクリューの羽が海面に露出しつつあった。エンジンを完全に停止せずに救命ボートを海面に降ろしてしまったため、最初の2隻のボートはスクリューに巻き込まれて破壊された。3隻目のボートがスクリューに巻き込まれる直前でスクリューが停止した。

ジェソップは、運悪く、スクリューに巻き込まれたボートに乗っていたのだが、意を決して海に飛び込み、ボートの下に潜ったため、頭蓋骨折の重傷を負いながらも命を取り留めた。彼女は2隻のボートの唯一の生存者であった。しかし、この怪我のため、亡くなるまで悪性の頭痛に悩まされたという。

このころまでにジェソップは海運業から足を洗ったと思うかもしれない。ところがさにあらず、「Miss(ミス)不沈」という愛称で呼ばれた彼女は1950年まで船の客室係として働き続けたという。1971年、同氏はうっ血性心不全により、83歳で波乱の生涯を閉じた。

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