少年のイラスト:さどはら ちえこさん、宇宙のイラスト:タカ★チンさん
これは日本の男性・T.A.さんの体験談です。

本作は『僕の好きな青い靴 〜未来って、今あるの?〜』の続編にあたります。

小学生が30年後に放送されるテレビドラマのお絵描きをしていた!

今から8年前、思いもしない方法で同じ時に3つの時代に偶然タイムトラベルし、おそらくは別のタイムライン(並行世界)に入ってしまった日本人男性です。前回は、小学生時代(昭和30年代後半)に戻った話でした。それの続きです。意識だけが過去に行く過程は同じ。しかし子供時代への退行も、その日の3回目になり、すこし慣れてきました。今回は身体をあやつり、動かしてみたのです。それだけでなく、なんと大人(50歳前半)の知識と記憶を、幼稚園児の頭に残してきます。もちろん、とんでもない事がつぎつぎと起こりました。それらのエピソードは、後半部で紹介していきます。

昭和62年〜平成20年

 私が30歳台前半、アメリカ西海岸にトレッキー(SFドラマ/スター・トレック愛好家)の友人が居て、始まってまもない新スター・トレック(TNG)を録画したビデオ・テープを1本送ってくれました。ビデオの録画に慣れていないらしく、ところどころ映像が乱れたり、切れていました。アメリカでの放送をそのまま録画したものなので、字幕も吹替えもありません。でも面白かったので、エア・メールで礼状を書いて「もっと送ってくれ」と頼みました。以後、毎年2本か3本のVHSテープが届きます。各巻には4話ずつ収録されていました。数年後には、別シリーズのDS9やVGRも入れてくれて、それらは私の貴重なコレクションになります。なお昭和62年頃は、映画のVHSテープが1万4千円〜2万円で販売されていた時代です。ドラマとは言え、どれほどの価値か、推測できるでしょう。

時は流れ、そのコレクションが押入れの中でほこりをかぶり始めた頃、日本でもやっと新スタートレック(TNG)の放送が始まりました。深夜の時間帯だったので、録画して見る事にしましたが、(野球中継の延長等で)放送時間がズレたり、そもそもの録画設定を私が間違えたりして、まともに録れた事が無かったのです。運が悪かったのかも知れません。仕事も忙しくなり結局、1度も見られませんでした。

そして、そんな事も忘れかけた頃、ある出版社がドラマのスター・トレック・シリーズのDVDを隔週刊で売り出しました(2006年)。日本語の吹替えと字幕、さらに英語字幕も選択できました。30年前には聞き取れなかった英語のフレーズが分かるのが嬉しくて、初刊から買い揃えずっと見ていました。

平成20年X月X日…私が50歳台前半(ここの章は、第1部とほぼ同じ内容です)

 そのシリーズを買い始めてから2年後、約60巻(180話)位までスター・トレックのDVDを見た頃に、興味本位で前世退行催眠なるものを受けました。施術士から説明を受け、私1人が部屋中央の(ソファーのような)長椅子に横たわり、目をつむります。近くにいる施術士が私に「深く息を吸って、とめて〜。はいて〜。両腕の力を抜いて〜、…」の様な事を言いながら、催眠状態へ誘導していきます。施術士が「子供時代に戻りま〜す」と言ってからハンドベルをチーンと鳴らすと、中学3年生の私が、実家の小さな和室の入り口にたたずんでいるイメージが瞬時に湧いてきました。「何か見えますか」と訊いてきたので、見えた物(和室内の調度品)の説明をします。続いて「どんな服を着ているか」を訊くので、「中3なので黒い学生ズボン、上着は白いシャツを…」と私が説明し始めました。まだ話し終わっていないのに途中で「もう少し先に行きましょう」と言うや、ハンドベルをチーンと鳴らしました。

その瞬間、もう私は小学校の低学年になっていて、実家(当時の自宅)にいました。「何か見えますか。どんな服を着てますか」と訊くので、見えた景色や服の事をそのまま説明します。続いて「どんな靴を履いてますか?」と訊かれました。
(私)  「お気に入りの青い靴を履いています」
(施術士)「どうして、その青い靴が好きなのですか?」
(私)  「はい、え〜と。え〜と」と考える振りをしましたが、施術士は応答してくれません。
(私)  「え〜と、え〜と」を続けます。結局、5分以上もそんな状態が続きました。なんとか「青い靴が好きな理由は、色が青いからです」と答え、やっと次の時代に移動しました。今回の話は、ここから始まります。

 施術士が「もう少し先に行きましょう」と言ってから、ハンド・ベルをチーンと鳴らすと、私の脳裏に幼稚園時代の自宅が見えてきました。と同時に、大人の意識の私は「そうか。もう退行催眠に入っているんだ。もう少し落ち着いて…」の様な事を考え始めます。この日、3回目の過去退行なので(とは言っても、2008年では10分位しか経っていませんが)、精神的な余裕が出てきたのです。この時点では、まだ"前世"退行まで達していません。事前の説明で、"前世"まで行けない事も間々あるとの話を思い出し、「子供時代へのこの退行でも悪くはない」ここで少し(支払った料金分の)元を取っておきたいと考え始めます。施術士に言われるままではなく「自分の意志で観察しよう」という気が湧いてきました。その観察でまず分かった事:見え方ですが、記憶の中から取り出したシーンを見ている感じはありません。第1部では、"夢をみているような"と書きましたが、もっと精細です。実際に見ているのと、何ら変わりはありません。自分が見ようと思えば、視線をその方向にむける事も出来ました。

 黙っていると施術士に詰問されそうなので、「え〜と、え〜と」と言いながら、時間稼ぎをします。この時、私は広々とした部屋にポツンと1人で立っていました。南側全てが大きなガラス扉になっています。今ならばサンルームと呼べそうな板の間です。実際は4畳にも満たない小さな部屋なのですが、ものすごく広く感じたのです。更にガラスを通った太陽光がポカポカと左半身に当たり、服を通して暖かさを感じました。この時(2008年で観察している私の意識は)、「凄い。退行催眠って温度まで感じるんだ」と興味深く思っています。それにしても部屋がこんなに広いのは何故だろうか。不思議に感じました。続いて、上を見上げます。すると、天井がものすごく高いのです。こんなにも高かったのだろうかと考えあぐねている時、施術士が「何か見えますか?」と訊いてきました。まだ観察が終わっていなかったので、大人の意識の私が「ちょっと待って下さい」と答えます。

 さて大人の意識になった瞬間、天井が高く見えた理由が判りました。当時のこのサンルームは家の端に増築されたもので、他の部屋よりも天井が低かったのです。思いきりジャンプすれば、天井板に手が届いてしまう程の小さな部屋でした。しかしそれは幼稚園児の時ではなく、身体が大きくなった中学生か高校生以降の記憶です。「身長と目線の高さが幼稚園児と全く違う。だから大人の今は、高く感じる」と分析できました。つまり「子供に戻り、背も低くなっていたので、目の位置から天井までの距離が伸びた為だ」と分かったのです。続いて、部屋が広大な理由を子供の意識に戻って再考します。すぐに判明。「目線の高さも一因ですが、部屋の中に物が全く無いのです。その位置からは隣の部屋も見えたのですが、やはり何もありません。家具や観葉植物、後日据えられた筈の飾り棚も消えていました。ゴミ箱すらありません。部屋が空っぽなので、こんなにも広く感じるのだ」と分かりました。その当時、物は押入れの中にありました。使う度に押入れから出し、使い終わったら押入れの中に戻します。そもそもテレビも無い時代です。

 懐かしい幼少期の自宅サンルームに戻った私は、隣の部屋にも行きたくなりました。身体が動くかどうか分からないので、まず右手を上げてみました。重かったのですが、手は上がりました。自分が着ぐるみに入っている感じです(とは言え、現実の私は着ぐるみに入った経験はありません)。続いて、歩けるかを確認しました。前に、2-3歩ゆっくり進んで見ました。歩けました。この時は、もう身体が重たいという感覚は無く、自分と一体になった感じです。なにも問題は無かったので、隣の部屋へ行くことにします。子供の身体が小さかったので、大人の意識の私は(なぜだか理由は分かりませんが)オモチャの兵隊をイメージしながら、まっすぐ歩いて行きました。その後、直角に右回りし隣室の中央まで進みます。やはり、天井はとても高く感じます。その部屋にも物はありません。ゆっくりと周囲を見回します。幼稚園児の目を通して見たその居間は、何も無いのに全てが懐かしく、柱の汚れすら見ていると嬉しくなります。そのままじっとして、空っぽのその部屋の雰囲気を楽しんでいました。

3分〜5分間位たった時でしょうか、施術士がまた質問してきました。ここで返答すると、前回の青い靴の質疑みたいになりかねません。それもあり、大人の意識の私が「今は幼稚園児になって実家のサンルームにいます。ただし幼なすぎるので上手く質疑応答が出来ません」と答えました(本当は、サンルームではなく隣の居間に移動していましたが)。すると施術士は、また少し別の誘導を行ってから、再びハンドベルをチーン。ここで、やっと前世退行に入りました(前世の話は、割愛します)。

これらは2008年に私が長椅子の上で、目をつむり感じていた事です。もちろん(退行催眠が終わって)目を開けても、記憶は全て残っています。第1部でも記しましたが、その記憶が強烈なデジャブを生じさせ、車を運転中の私は一時的なパニックにおちいってしまいました。

昭和30年代中頃…私が幼稚園年長組の時

ものすごく不思議な事を幼稚園時代に、体験しました。その思い出を書きます。実は小学校へ上がる前の記憶は、ほとんど残っていません。この一連の出来事だけを記憶しています。と言うか、忘れられる様な事ではないので、ずっと(大人になってからも)不思議に思っていた事件です。

   ある日、家族が食材を買いに行くとかで、私だけが家に残されました。人生で最初のお留守番だったと思います。母親達が玄関から出ていく音が聞こえたので、私は庭が見える部屋(上記のサンルーム)へ歩いて行きました。それから「何をして遊ぼうか」と部屋を見回している時、何かとても変な感じがしてきました(この時に未来からの意識が入ったのだと思います)。でも何が変なのか分かりません。何だろうと立ち止まって考えていたら、誰かに後から頭を押さえつけられて、ギュッと上を向かされました。その瞬間は、近所に住んでいる親戚のお兄さん(中学生)がやったのだと思いました。そういうイタズラを良くされていたので、家にこっそり入り込んでいて、またやられたのだ、と。すぐに振り向こうと思ったのですが、頭を強く押さえられているので、後を向けません。と同時に、部屋の天井が異様に高くなっているのが分かりました。親戚のお兄さんは、これを見せようとして、上を向かせたのだと思いました(この時ですが、ちょっとがっかりした気持ちにもなります。何故かと言うと、直前に「ひとりでお留守番できるわよね?」と母に問われ、「できる!」と返事をしたにもかかわらず、もう1人誰かが居たからです。親は私を信用してくれなかった、と感じたのです)。

 でも、どうやってあんなに高く天井を持ち上げたのだろうか。そのイタズラお兄さんに聞こうとして後を向きました。今度は簡単に振り向くことが出来ましたが、誰もいません。キョロキョロと犯人を捜し始めたのですが、なんと今度は部屋が信じられないほど広くなっている事に気が付きます。文章で書くと長いですが、天井に頭が向いてから、ここまで約10秒です。

 部屋が突然広くなる事はない。これは幼稚園児でも分かります。でも、どう見ても2倍か3倍は広くなっています。しかも部屋から何かが大量に無くなっている感じがするのですが、何が無くなったのか思い出せません。子供ながらに、いろいろな理由を考えるのですが、全く分かりません。でも、とにかくとても広々としています。そう考えていた時に、もっと不思議な事が起こりました。私の右腕がまっすぐ、そしてゆっくりと前へ上がり始めたのです。

「いったい何これ?」と思いながらも、面白くて、自分の手に見入ります。右腕が目の前まで上がると、こんどはゆっくりと下りてきました。自分が、何も思っていないのに「どうして手が動くの?」です。この時点で、犯人(親戚のお兄さん)なんか居なかった。ひとりでに頭や手(正しくは「腕」です)が動いたのだと、分かってきました。

「ものすごく不思議な事が起こってる。誰かに話したい」と考えていると、今度は身体が勝手に3歩だけ前進し、止まりました。続いて、その位置で直角に右を向き、隣室に向かって歩き始めます。そのまま隣室の端を畳二枚分(約1.8m)ほど直進すると停止し、再び右へ直角にターンし、また歩き始めます。部屋のちょうど中央に来た時に止まりました。そしてそこで直立不動になります。でも、畳の上とはいえ不安定なので、すぐに楽な(つまりきっちりした直立不動ではない)姿勢になり、そこに立ち続けます。さっきと同じ何かとても変な感じが、又します(ちょうどこの時、未来では大人の私の意識が施術士に釈明している)。

 部屋がとても広い。襖(ふすま)の模様や柱の汚れを見ていると、なぜか嬉しい。そうして2-3分間、壁や襖を見つめて楽しんでいた時です。今度はその壁がす〜っと、目前に近づいて来ました(音はありません)。動いていないのですが、自分が壁の方にそして壁が自分の方に滑ってくる感じです。「あれれ。何だろう」と思いつつ、(今度は自分の意思で)真上を見ました。天井は、もう高く感じません。それまで続いていた変な感じは、この時にはもう消えていました。それでも私は、その位置に立ち続けました。と言うか、待っていました。次にまた何かが起こるだろうと考えたのです。しかし、いくら待っていても、もう自動的には歩き始めません。何も起こりません。幼稚園児の私は「ああ、ここが終点なんだ」と悟ります。

 しかし余りにも愉快な体験だったので、もう1度やる事にしました。サンルームの出発点の場所に戻って、そこに立ち、自動的に歩き始めるのを待ちます。時々、天井を見上げてみたり(もう高くなりません)、キョロキョロと部屋を見回したり(もう広くなりません)。しかし全く何も起こりません。「もう今日は終りみたいだ。明日の同じ時刻に、この場所に立っていれば、また出来るだろう」と思いましたが、幼稚園児の私は時計の見方が分かりません。そこで策を立てました。それは柱時計の前に立って、短針と長針の位置を覚える事です。明日も同じ針の位置に近づいたら、サンルームに戻って立っていれば良いと考えました。

 ところが、柱時計の前まで来ると「10時38分だ」と分かるのです。さっき変な感じが始まったのは、15分くらい前。引き算をして、明日は10時23分迄にサンルームに戻る事にしました。「あれれれ。昨日まで時計の見方が分からなかったのに、今日は分かる。時刻の計算も出来る。頭が良くなっている」と。脳みそが変だ。頭がおかしくなったのか。天才になったのかも知れない(ひょっとしたらバカに…)。いろいろな事を考察してみました。そして何度も何度も、頭のテストを自分流に行ってみました。でも、よく分かりません。混乱を収めるため、最終的に「たった今、自分に起こった事が何なのか」を考えてみました。

 幼稚園児の出した結論は「僕はロボットだったのかも知れない。さっきは一時的に故障した。だから身体が勝手に動いた。頭が急に良くなったのは、今日まで停止していた電子頭脳(この単語は、当時から知っていた)のスイッチが入った為。でも、一番の決め手は、さっきの歩き方。直線的にカクカクと歩行し、隣室中央へ移動する時に2回も直角に曲がった事。人間や動物ならば、部屋を横切ってそのまま斜めに進む筈だ」と考えていた時に、家族が帰ってきました。

 母親から「お留守番の間、1人で何をしていたか」を訊かれたのですが、それには答えず「『いま何時?』って訊いて!」を繰り返しました。時計の見方が分かる様になった事を早く自慢したかったのです。母は、すぐに訊いてくれました。それに答えて、私は時刻を言います。訝(いぶか)しがりながらも、母は感心していました。

以上です。ここまでが、未来の私が偶然に幼稚園時代へ意識だけのタイムトラベルをした時の話です(移行していた正味の時間は、たぶん数分間)。このロボット体験だけでも、子供にとっては大事件なのですが、この後も奇妙な出来事が数週間に渡って続きます(知識と記憶に関しては十数年間)。全ては、書き切れません。主だったものを、この後半部で記します。写真も添付します。ただし、とても冗長(じょうちょう)な話なので、興味の無い方は読みとばして構いません。

時系列は前後しますが、まずスター・トレック関係の話から始めます。

昭和30年代中頃…上記のお留守番体験から1週間後。まだ一般家庭にテレビが無い時代

   何かの理由で幼稚園を休んで、自宅にいました。母親が白いお皿を持ってきて、「これに絵を描きなさい」と。
(私)「何の絵を描くの?」。
(母)「○○君(私の名前)が好きな物とか、大人になったらやりたい事とか、何を描いても良い」と言いながら、小さなクレヨン・セット(6色入)も一緒に手渡されました。

 このお皿は幼稚園の卒園記念品になるのですが、子供の私はそんな事を知る由も無いので、すごく驚きました。お皿にクレヨンで絵を描けば、いつもなら絶対に怒られる筈です。何か親の策略があると思ったのですが、考えても分からず。言われたままに絵を描く事にします。

 自分が大人になってやりたい事って「う〜ん、う〜ん」。考えた末、将来の職種を「宇宙探査のお仕事」に決め、それを図柄にする事にします。脳裏にはスター・トレックの何百というシーンがカラー映像で浮かんでいました。渡されたクレヨンは、幼稚園にあるのとだいぶ違います。とても細くて、長さも3cm位しかありません。本物のクレヨンは、持つ位置に紙が巻いてあるのですが、これはむき出しです。先ず、青色を手に取り(その当時、地球の周回軌道に居た)マーキュリー宇宙船を描き上げました。と言っても、青く塗りつぶした単なる正三角形。飛行中のマーキュリーを描いた筈ですが、どう見ても宇宙船に見えません。あきらめて胴体部分を描き加え、打上げ前のロケットに修正しました。それから、宇宙船の真上に(オリオン座のイメージで)星を3個並べて描きました〔注1〕。この三ツ星は、満足の行く出来です。続いて絵皿のメインとして、純白のUSSエンタープライズ号を描く予定でした。ところが、クレヨン・セットの中に白色が無いのです。困ったのですが、内心ほっとしました。この時点で、(頭の中には、エンタープライズ号が手前に飛んで来るシーンを思い浮かべているのですが)自分にそれを描く技量が無いのが分かっていたからです。他の(クリンゴンやらロミュラン星人等の)宇宙船も考えましたが、構図的に描くのは更に難しく、なにより「宇宙探査のお仕事」らしくありません。

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 考えた末、新スター・トレックでは定番の真っ黒なボーグ・キューブ(上の画像参照)という宇宙船を描く事にしました。正立方体型なので簡単だし、これを描けば誰にでもスター・トレックだと分かってもらえる筈です。先ずちゃんと描けるどうか(家の外にあったコンクリートの破片かなにかに)下描きをしてみたのですが、正立方体どころか正方形すら幼稚園児には上手く描けません。その内に(下描き練習だけで)黒いクレヨンを使い切ってしまいます。やむを得ず、部屋に戻ってから、絵皿の中央に最も簡単な図形(三角と丸)で「ピラミッド型UFOが、外宇宙の他の惑星へ探索に向かう場面」を適当に描きました。その当時(昭和30年代)、ピラミッド型はまだ地球に来ていません。そもそもUFOと言う名称もありません。これを描けば、大人達には理解されないだろうと思いましたが、その時は「ボーグ・キューブ宇宙船の代わりに描いた」と主張するつもりでいました。そして外宇宙を強調する為に、別の小銀河(星雲)を緑色で描き加え、余白にいくつか星を配置して完成です。地球周回軌道上のマーキュリーが描かれているので、外宇宙の探査と矛盾はありましたが、自分では満足の行く出来ばえでした。

「絵が描けたよ〜」と親に見せます。案の定、ピラミッド型UFOの事を訊いてきました。私は頭の中で準備していた「これは半機械集合生命体ボーグの宇宙船の代わりで…」と反論する予定でしたが、言葉が口から全く出てきません。脳裏にはその知識の概念や映像シーンがどんどん浮かび上がるのですが、幼稚園児のボキャブラリーで、それらを説明できないのです。スター・トレックは昭和30年代、アメリカでもまだ始まっていません。そもそも一般家庭にテレビはありません(大人達はラジオを聴いていました)。「いつもテレビでやってる…あの…」と言う日本語表現も、まだ世の中に無いのです。外宇宙を意味する為に描いた小銀河ですら、大人たちから「これ、空飛ぶ円盤だね」と誤解されます。その後も数年間(小学校時代ずっと)、食卓にこの絵皿が出て来る度に同じ疑問を呈され、悔しい思いをします。その鬱憤(うっぷん)を晴らす為、学校で、ノートや教科書の余白にボーグ・キューブの絵を描き連ねていました。

平成28年6月…この記録を書きはじめた頃:物証

 両親は他界し、ここで話している実家は解体されてもう無いのですが、家財道具一切は倉庫へ保管(正しくは、いつか整理しながら片付けようと、そのままに)してあります。上記の幼稚園時代の絵皿を探しました。

実は、タイムトラベルの記録を書き始めるや(それまであまり覚えていなかった筈なのに) いろいろな記憶が次から次へとよみがえり、更にあり得ないほど詳細に脳裏へ浮かんでくるのです。中学や小学生の時ならともかく、ここで書いている幼稚園時代の事まで、目をつむるだけで鮮明に見えます。それだけではありません。その時の感情まで追体験してしまうのです。それらの内容を記述しながら「子供時代の記憶なのに、はっきりし過ぎている。ひょっとしたら、私の思い違いか、勝手な空想力で記憶をおぎなっているのではないか」との疑念が湧いてきました。

いわゆる疑心暗鬼になったのです。幼稚園時代の記憶を書きとどめる作業を一旦中止。あの卒園絵皿を探す事にしました。探索には実質7日間以上かかりましたが、見つかりました。その写真を載せます。UFOという言葉もなく、空飛ぶ円盤(flying saucer)しか知られていなかった幼稚園時代(昭和30年代)に、やはりピラミッド型を描いていました。オリオン座の三つ星〔注1〕もロケットの上に。記憶は間違っていません(皿の右端に私の名前が書かれていたので、ここはテープを貼って隠してあります)。物証が見つかり、疑念を払拭できたので、記述再開。

昭和30年代後半…小学校入学後

   上記しましたが、幼稚園時代は正方形もちゃんと描けませんでした。しかし小学校の一年生か二年生頃(第一部で記した「青い靴事件」の直後)ですが、正立方体形のボーグ・キューブらしき宇宙船を上手く描けるようになります。この絵を使えば、言葉で説明できなくても、スター・トレックだと分かってもらえる筈です。かなり自信を持って、両親の目の前で描いて見せたのですが「何だか分からない」と言われます。それを小学校の同級生達に見せても「黒いサイコロみたいだ」です。誰もスター・トレックを知らなかったので、理解してもらえず。まだ放送が始まっていなかったので当然かも知れません。「まだ駄目か」と思ったのを覚えています。

 ボーグ・キューブは(知らない人は全くわからないと思いますが)、1度でも見たら絶対に忘れられない特徴的な宇宙船です。いつか分かってもらえるだろうと思って、描く練習だけしていました。その後、小学校上級生の頃(アメリカではすでにドラマ開始)、何人かの同級生が「宇宙人は耳が尖っている(Mr.スポックです)」と言いだしました。日本ではまだ始まっていませんが、彼らにはアメリカからの情報が(漫画雑誌の掲載などで)入っていたのだと思います。私は、すぐに黒い正立方体を描いて「この宇宙船を知らないか?」と。質問攻めにしましたが、やはり誰も知りません。ただし、この日からノートや教科書への描き込み頻度が増加します(小5か小6)。卒業までには、かなり本格的なボーグ・キューブが描けるようになりました。全ての教科書とノートの裏表紙が、ボーグ宇宙船の格子模様で埋めつくされて行きます。こんな感じでした。写真を添付します(残念ながら、小学校時代の手描き作品は見つかりませんでした。これらは今、思い出しながら描いたものです)。

私のイラスト画(イタズラ描き)は担任も気がついていました。授業中ついに描いている真最中に見つかってしまいます。その場で「何の絵を描いてる?」と、着席していた私は起立させられ、同級生の視線が集中します。小学校の教師がボーグを知っている筈がないので「ご、ご、碁盤の絵」と返答。意外な事に、怒られませんでした。着席。

 そうこうする内(小学校を卒業後ですが)、日本でもスター・トレック(邦題:宇宙大作戦)が始まりました。私は「やっと始まった。これで家族にも友達にもボーグ宇宙船の事を分かってもらえる」と喜びました。最初の頃は白黒放送でした。見はじめると「格好良くない。似ているけど、私が知っているのとは全然ちがう。エンタープライズ号の飛行する角度が違う。色が付いていない(実家のテレビはすでにカラーでしたが、放送自体は白黒だった)…等など」。第2話か3話を見終わった時点で、「これじゃないや」とあきらめにも似た脱力感におそわれます。ボーグ達も出てきませんでした。初代スター・トレックに対するそれ以後の記憶が今の私には、何故かありません。たぶんドラマも見なくなったのだと思います。ボーグ・キューブの絵も描かなくなりました。そして幼稚園のあの卒園記念絵皿も、中学になると親は食卓に並べなくなり、これらの話題は自然に消滅しました。

 昭和が過ぎ去り、平成が始まった頃、アメリカ人が送ってくれたビデオテープでボーグ・キューブと私は再会するのですが、その時は何の疑念も持ちませんでした。「ああ、子供の頃よくこれの絵を描いていたよな。休み時間には、このイラストを使ってK村君やT山君と五目並べをして遊んだ」と思っただけです。

昭和30年代後半…小学校時代の広辞苑

 幼稚園の絵皿に関して、もうひとつエピソードがあります。私は「スター・トレック」と言わず、絵皿の事を「うちゅうたんさのおしごと」と呼んでいたのですが、大人達はその言葉を知らなかったのです。描いた私に「絵皿は宇宙旅行だ」とか「宇宙冒険だ」と言わせようとしました。どちらも違うと思った私は同意せず、反発していました。今ならばサッカー選手を夢見る子供に対し、「サッカーの試合」を「タマ蹴りごっこ」と言わせようとするようなものです。おそらく子供は猛反対すると思います。私も、頑として「うちゅうたんさのおしごと」と言い続けました。

 親は、それが気に入らなかったのでしょう。私が小学校に入った頃、ついに父親が会社で仕事に使っていると言う大きな国語辞書(広辞苑です)を持ってきて「全ての日本語が、これには載っている。この辞書にないのは、正しい日本語ではない。『うちゅうたんさ』と言う言葉は無い」と、これ見よがしに説明しながら「今後、分からない時はこの辞書で確認しなさい」と手渡されました。すごく重たい本でした。その直後、すぐに調べましたが、本当に載っていませんでした。数年後にアポロ計画が発表され、そこで初めて「月探査」と言う単語を耳にします。今思えば、当時は本当に「宇宙探査」の概念が無かったのでしょう。

 さて、続きです。この国語辞書は、その後もずっと机の上にありました。そして私を威圧していました。でも調べるのが煩わしいし重たかったので、小学生の時も、中学生になっても私は使っていません。しかし家族達はそう思っていなかった様です。なぜかと言えば、辞書をもらった6〜7歳の頃から子供が使わないような難解な日本語(赤方偏移、相違点、超伝導、融合、亜光速、…)を頻繁に口にし始めた私を父親は「あの辞書(広辞苑)を与えたから、こいつ(小学生の私)はこんな単語を知っているんだ」と自分の功績にしていたからです。私が、辞書で事前に調べて、それらの単語を使っていると家族達は思い込んでいたのです。

2007年(平成19年)後半…卵が先か、鶏(にわとり)が先か

   最初の項で述べましたが、平成18年5月頃からスター・トレックDVDを隔週で購入し始めました。中味は順不同(放送の順序とは関係なく)で、3話ずつ収録されていました(第1巻は全てボーグ・キューブの話です)。見始めた頃ですが、どれもこれも以前に見た事があります。昭和60年代にアメリカから送ってもらったビデオ・テープで見た為だと、私は思っていました。

 ストーリーも大まかに覚えているのですが、それよりは映像シーンの方をはっきりと記憶していました。何か衝撃的なシーンの次のカットは、見なくても分かりました。「あっ、このシーン覚えてる。次に、〇〇が登場するぞ」です。大昔に見たドラマの再放送を、内容が分かっていながら、また見てしまう。そんな感じなのですが、1年位過ぎた(単純計算で78話分を見た)時点で、不思議な事に気が付きます。そこまで購入した全ドラマのストーリーを大昔に見た記憶があるのです。

 最初の頃は、上述したように昭和60年代にアメリカ人が送ってくれたVHS(ビデオ・テープ)7本〜8本で見たからだと思っていました。ですが、それは有り得ません。VHSで8本なら計算上は、32話ですが、番組録画は度々重複していたので、私は30話も見ていない筈です。なのに、78話全部を見た記憶があるのです。つまり計算上、半分以上は見ていないのに、全てを見た記憶があるのです。

 それに気がついてから、新スター・トレックDVDを買ってきて、初めて見る時に「このシーンの次は、〇〇の登場だ」をわざと意識しながら鑑賞するようになりました。全部(約180話)が当たっていました。ついには友人や会社の同僚達に「スター・トレックのDVDを見ているんだけど、初めて見るのにストーリーや映像シーンが全て事前に見えるんだ。僕には予知能力があるらしい…」と言い始めます。2週間毎に、そんな話をしていました。彼らは、とうぜん予知能力には驚かず、そんなDVDを大人が購入し見ている事に呆れていました。

実は、昭和60年代にVHSテープで初めて見た時もストーリーが分かっていました。ただし当時は、SFドラマのどれもが似たようなものだから、だいたいスジ(ストーリー)が分かってしまうものなんだと。さらに全編が英語で字幕も無く、聞き取れない時は空想力を働かせて見ていたので、そんなにまで深く考えませんでした。

平成20年X月X日以後…予知能力が消える。トラウマも消える

 この奇妙な現象が止まったのは、2008年の退行催眠後に購入したDVDからです。すぐには、関連性に気づきませんでした。タイムトラベル事件で、それどころではなかった為です。2ヶ月か3ヶ月過ぎた頃「退行催眠したら予知能力が消えたみたいだ。何故だろう。あの子供時代への意識の移行と関係があるのか?」と、ずっと考えていました。以前と同じように、2週間毎にDVDを買って来ては、急いで新スター・トレック3話を見ながら確認するのですが、見た記憶は全くありません。「予知能力が消えた」と不思議に思っていたのですが、それまで再放送の様に感じていたのは、昭和60年代のVHSテープの内容ではなく、昭和30年代中期/幼稚園児だった私の脳裏に有ったあの「宇宙探査のお仕事」の映像だったと気がつきます。

で、幼稚園児の脳内映像はどこから来たのかと言えば、平成20年(2008年)のあの退行催眠しか考えられません。つまり意識がタイムトラベルすると、未来に持っていた記憶も過去に行く。それだけでなく、無意識の記憶まで移送されるという事でしょう。なぜなら、あの退行催眠中に私は1度もスター・トレックの事を考えていなかったからです。潜在意識あるいは無意識の記憶だった筈です。それが、勝手に幼稚園児の私の脳裏に記憶を置いて(うえつけて)きたと、現在(2016年)の私は解釈しています。

 予知能力が消えたと思ったけれど、退行催眠時(2008年)以後の分は、まだ見ていない(買ってもいない)DVDに収録されていたのだから、幼稚園児の頭に映像シーンは届けられません。当然ですね。ややこしいので、簡易年表を添付します。こんなにも簡単な事に気がつくだけで、数年間も要した計算になります。

 そして、これらのカラクリに気づいたその日(退行催眠を掛けられたあの日から約3ヶ月後)ですが突然、身体や肩がスーッと軽くなりました。実際に体重は減っていませんが、背負っていた15kg位のリュックを下ろした感じです。40年以上ずっと抱えていた、理解されない「卒園記念の絵皿」の件、親から禁じられた単語「宇宙探査」、描き続けたボーグ・キューブの絵、机の上で私を威圧していた広辞苑…、等のトラウマが知らず知らずの内に、ここまで大きくなっていたのだ。と、その時に思いました。ただし、会社の同僚には「予知能力じゃなかった。タイムトラベルしてた」とは言えませんでした。


 ここまでの文章が長すぎるのは自覚しています。すみません。これでも「単なる意識の(幼稚園児へ)タイムトラベル」と「それにより生じた米SFドラマに関する私の人生の不思議現象」だけをピックアップして、まとめてみたものです。スター・トレック以外の不思議な思い出(これの方が本題に近い)が多々ありますので、続けます。

昭和30年代中頃…上記の幼稚園年長組の時、お留守番の日

 初めてのお留守番の最中に、自分の身体がロボットの様な動きで勝手に歩き出した事件の直後をもう少し詳しく書きます。頭の中が、とても変なのです。何かを考えようとすると、時間が掛かります。せいぜい数秒間ですが、その前日迄は瞬時に考えていた(つまり思考時間のようなものは無かった)と記憶しています。それ以外にも頭の中がゴチャゴチャした感じになってしまったのです。お気に入りのオモチャで遊ぼうとして、数個しか入っていなかった筈のオモチャ箱の中を覗くと何百個ものオモチャが詰まっている。目的のオモチャが、なかなか見つからない。そんな感じです。何を考えるのにも時間が掛かり出したので、頭が悪くなったと、心配になりました。続いて柱時計の前に立った自分が、時刻を把握している事に気づきます。今度は、頭が良くなったのかも知れない、と。

 時計の読み方以外ですが、(時間は掛かりますけど)何でも分かるのです。かつ知っているのです。それまで良く知らなかった(家の中にある)すべての品物の名称が分かりました。目に見えるもの、全ての名前と用途が分かるのです。

・ご飯(白米)をお釜からお椀に移す木製のヘラは「しゃもじ」
・掛け軸が風で揺れないよう、その下に吊るす重しは「ふうちん」
・母親が使っている抹茶の粉を保管する容器は「なつめ」

などなど、どんなに難しいものでも考えると名称と使い道が分かりました。

家の中に無いもの(たとえば動物の名前など)も考えてみました。最初に「くま」の事を思い浮かべます。すると「ひぐま、つきのわぐま、ほっきょくぐま…」の全ての違い、逆に「北極ぐま」と「白くま」は全く同じものであるとか、名称以外にも熊に関する多くの知識が出てきました。オーストラリアの有袋類代表「カンガルー」の事を考えます。すると大きさにより「ワラルー」「ワラビー」と種別が変わるのが分かります〔注2〕。何を考えても、時間は掛かりましたが必ず答えが得られました。「天才になってる」と思い始めます。

幼稚園児の頭で、その日を境にもう1つ(ロボットの電子)頭脳が新しく動き出した(と思い始めました)。「どんな事でも考えるだけで、答えが分かる」…脳みそが2つあるみたいだ(実際にそう感じました)。ワクワクして、身体をじっと保っていられない程に嬉しくなってきました。ピョンピョン飛び跳ねたかったのですが我慢して、頭がどれ位良くなったかを、確かめる事にしました。

 またサンルームに戻っていたのですが、最初に「(1) 光速を越えた瞬間には、何が起こるのか?」を考えました。幼稚園児がどうして、こんな想定をしたのか不思議ですが、この時なんとなくタイムトラベルの事を考えていました。答えはすぐにも得られる筈でした。しかし考え続けるだけで、何のヒントも得られないどころか、奇妙な答に行きついてしまうのです。暖かな陽射しを受けながら身体はポカポカ、頭の中のグチャグチャはもっと酷くなりました。いつまで経っても自分が欲しい答えにたどり着けません〔注3〕。仕方なく設問を替えて「(2) 宇宙が誕生する前は、どうなっていたのか?」を考えました。が、やはり分からないのです。宇宙の寿命は知られている(60億年)よりもずっと長いのは、すぐに分かったのですが、宇宙の誕生前がどうなっていたのか、やはり分かりません。どうして私の頭の中の(何でも分かる筈の)電子頭脳は、この2つだけ答えが得られないのだろうか。それは、おそらく「人類がまだ知らない事には、答えられない」為なのだと考えました。

そこで今の自分は絶対に知らないけど、科学者なら知っているであろう設問に変えました。「(3) 太陽の総質量は?」です。ピタッとした具体的な数値がすぐにも出ると思い、頭をボーっとさせて、何分も待っていました。しかし答えは得られません。困ったので、もっと簡単な「(4) この地球の総質量は?」を考えるのですが、やはり分かりません。「駄目だ!全然頭は良くなっていない」と弱気になり、かつ心配になってきました。もう1度、柱時計の前に行きました。時刻は分かります。「時計の見方は、まだ忘れていないな。本当に僕はロボットなのかも知れない」と考えている時に家族が買い物から帰ってきたのです。なお(幼稚園児の)私の脳内には、不思議な事に「長針は60進法で、短針は12進法」等の概念などがちゃんとありました(いまだにその時の感覚を覚えています)。

 その晩、父親が目覚まし時計を持ってきて、時刻当てクイズをしたのも覚えています(ひとつだけ答えられませんでした。長針と短針が重なっている9時49分です。「針が1本消えた」と思いました。父親に、引っ掛けられたのです。でもそれ以外は全て分かりました)。

昭和30年代中期…留守番体験から約1週間後、卒園絵皿

 ボーグキューブを描けなくて、やむなく絵皿に描いた三角形UFOですが、立体的なピラミッド型です。実は最初、線画で三角形と丸(惑星)だけを描きましたが、これだと地球製UFO(2016年のネットで検索できるTR-3Bの事か?)に誤解されると思いました。こちらは平べったくて、かつ外宇宙の探査には使えません。私はピラミッド型か正三角錐型に見せたかったので、内側に縞模様を描き加えます。これでやっと地球製UFOではなく、外宇宙でも使えるピラミッド型宇宙船に見えてきました。こんな変な事を考えながら絵を描いた昭和のあの当時ですが、再三言っていますがテレビはまだありません。元になったのは、自分の脳裏にあった映像記憶です。なお幼稚園児(私)の頭の中にあったのはそれらのイメージだけ。単語の音(スター・トレックとかTR-3Bとか)は無かったと思います。

昭和30年代中頃…幼稚園年長組の時、お留守番の翌日

 初めてのお留守番の翌日ですが、予定していた午前10時23分にサンルームへは戻っていません。その時刻は自宅ではなく幼稚園で本を読んでいました。実は、その前日(身体が勝手に動き出した日)の午後ですが、頭が良くなったようなので(脳内の電子頭脳のチェックも兼ねて)自宅で読書を試しました。簡単に読めます。とは言え、それらは子供用の図鑑と絵本です。もともと少し読んでいたものです。次が本番、今度は大人用の本で試す事に。まず台所から椅子を持ってきて、襖(ふすま)を開け、押入れの上段に入り込みます。ここに親の本があったからです。適当に選んで、読んで行きます。分からない漢字も少しありましたが文章は、ほぼ読めます。「凄い。大人の本が読める!」時計の見方に続けて、これも親に自慢する事にしました。しかし万一にも読めないと嘘になるので、とりあえずそこにある全ての本を(1ページずつでも)事前に読んでおく事にします。難しそうな本から始めたのですが、すぐに読めない本が見つかりました。「漢和辞典」です。難しいどころか、書いてある意味が分かりません。と言うか、ルビが振ってあるので声に出して読むことは出来ますが、内容や何を言いたいのかが全く分かりません。どのページのどこの部分を見ても、読めるのに、意味が分からないのです。右上からなのか左端なのか、読み始めるスタート位置さえ分かりません「残念。やっぱり大人の本は読めないんだ」。頭は良くなっていなかった。自慢するのは、あきらめました。

ただし翌日、幼稚園の本棚にある本(約半分は絵本)でも試しました。どれも問題なく読めました。そして一番難しい(絵がない文字だけの)本を見つけて、最初から読んでいました。南極大陸にいるペンギン2羽の物語です。その日は外で遊ぶ事もせず、ずっと読書です。降園(帰宅)時刻が近づくと自分で本棚に戻しました。

 その日の夜です。一冊の本を母親から渡されます。なんと昼間、読んでいたあのペンギンの本です。子供心で「幼稚園の本だ。どうしてここにあるのだろう」と不思議に思いましたが、「読んでいいわよ」と言われたので、最初から読み始めます。すると母親はむろん、ふだんあまり歓心を表さない父親ですら(次の日も、次の晩も)喜んで聞いていました。

 本が自分の家にあらわれた理由は、推測できました。親が幼稚園から勝手に持ち出したか、許可を得て持って来たのだと。不思議だったのは、昼間私が沢山の本の中からそれを選んで読んでいた時、親はまだ幼稚園に迎えに来ていなかったし、私は教室内で読んでいたので、その様子は外から見えない。しかも幼稚園で読書をしたのは、その日が初めて。周囲には保育士以外、誰も(友達も他の子の親すら)居なかった。なのに、どうして私の親はあの本が分かったのだろうか。しかも迎えに来た時、親は教室に入ってきていない。もし親が教室に入ったとしても、棚には何百冊も本があるから、選び出す事は不可能だ。疑問は、増えるばかりでした。

 その翌日、私は幼稚園に着くや、すぐに教室の本棚へ直行。前日、私が戻した場所を見ると、ペンギンの本がありません。我家にあるのが、幼稚園の本だと確信します。複雑で不思議な気持ちでいっぱいになりました…罪悪感(親が泥棒したのか)も生じました。今は大人なので、第三者の保育士が関与していたのだろう、と分かります。しかし幼稚園児の脳裏には、第三者という概念がなかったので、魔法のように感じたのです(頭が良くなっていたとは、とても思えないですね)。その日の夜も、両親に請われて、読みました。喜んで聞いていました。

 その翌々晩も、また読みました。ところがです。父親に「黙って読みなさい。うるさい」と言われます。昨晩までは、喜んで聞いてくれていたのに…、父に同調して母も「声を出さないで読みなさい」と言います。声を出さないで、どうやって読むのだろうか。その夜まで、本を読むという事は音読だったので、とても奇妙に感じました。つまり声に出して読む。そして、それを自分の耳で聞いていると内容が分かる。これこそが本を読む事だと思い込んでいたのです。

ただし、声に出さないで読む事はすぐ出来るようになり、その晩から私の読書スタイルは黙読に変わりました。今日に至るまで。

昭和30年代中頃…幼稚園〜小1、【検証】

ロボットだったのかも知れないと思ったあの日から、自分がどう変わったのか。能力の検証を始めました。その結果です。
(1)読解力:大人の本も、全てではないが大体読める。ただし、読めない漢字は多々あった。その部分は飛ばし読みをしたが、内容は分かった。
(2)時計の見方や時間の計算は出来た。あの日以降、忘れる事はなかった。
(3)会話能力:ロボット歩き以前よりは上達していた。しかし大人と同じレベルには程遠かった。考えている事を、言葉にできない方が多かった。
(4)聞き取りの能力:大人同士の会話内容は、すぐには無理だけど、ずっと聞いていると理解できた。
(5)ラジオの聞き取り:調べたかったのですが、椅子に乗ってもスイッチまで手が届きません。機会を待って、親がラジオのスイッチを入れるのを待ちました。何回か一緒に聞き入りましたが、ラジオ放送の内容は全く聞き取れませんでした。
(6)無意識歩行:何回かサンルームに戻って試したけれど、初日のように意識しないで自動的にロボット歩きをする事はありませんでした。
(7)運動能力:これは、全く変わっていませんでした。重い物も持てず、以前より早く走ることもできず、背の届かなかった棚も届かないままです。体力・身体特徴には、全く変化なしです。この最後の検証(実際にジャンプしてみたり走ったりした)で、「自分はロボットだった」の確信が揺らいできました。

 卒園前のある日、幼稚園で「ここの本棚にある本は全部読める」と保育士の1人に自慢したのですが、本ではなく何故か動物図鑑を開いて、動物の絵の傍らに印刷されている名称(ひらがな又はカタカナ)を私に読ませようとしました。わざと文字部分を見ないで、答えました。全部知っていたからです。その時に分かったのですが、動物学に関しては、その保育士や他の先生達よりも、私の方が良く知っていました。ゴリラとオランウータンは類人猿ですが、そこの幼稚園の先生達はチンパンジーが猿だと思っていました。シッポの有無で「猿(さる)」と「類人猿(るいじんえん)」を区別する事すら知らなかったのです。動物の名称も私の方が多く、そして詳しく知っていました。

 これだけでは終わりませんでした。すぐに小学校に入学するのですが、教師がどれほどバカか、そして子供の前では知ったかぶりをするのが分かりました。私にとって悲惨な小学校時代の始まりですが、ここのくだりはカットします。

昭和30年代中頃…幼稚園年長組の時、【例外】

 上記のお留守番時にロボット歩行をしてから、数日後(絵皿を描いた日の前々日だったと思う)。母親の友達か知人の女性が3名、家に来ました。自慢をしたくて「ぼく、外国の言葉がしゃべれるんだよ」と言いながら、ヒットラーの口調でとつぜん演説をはじめます。みんなは「すごい、すごい。ドイツ語しゃべれるんだ」と言いながら、私の「Rの(巻き舌)音が上手だ」と喝采してくれます。調子に乗った私は「ルルルルル〜(巻き舌音)」を連発します。母もその友人も驚いてくれます。嬉しくなり、同じ演説をもう1回やりました。でも、これは失敗でした。ドイツ語をしゃべっていたのではなく、丸暗記していた文章を復唱しているのがバレたと演説途中で思いました。しかし母親の知人達は、そんな事を気にもせず「○○君(私の名前)は大人になったら、きっとドイツ語をしゃべれるようになるよ」と誉めてくれました。

 この幼稚園児の時にしゃべったのは「マイン・カンプフ(我が闘争)」の1節だったと思うのですが、私は(2008年頃も、今も)ヒットラー親派ではなく、本も読んでいないので、正確な事は言えません。ひょっとしたら、これは単なるドイツ語演説の物真似だったのかも知れません。今ならば、芸人タモリ氏のような「物まね上手な人」がすぐに目に浮かびます。でもテレビが無かったあの当時は、外国語の演説を真似すると言う発想自体ありません。しかも幼稚園児だった私は、自慢する前に演説文を忘れていないか、発音を間違えてしまわないか、隣室で2-3回の予行演習をしていました。物真似ではなく、確かに本物の演説の一部だったと思っています。

 さて、この話をこの最終章に書いたのには理由があります。ここまでの不思議エピソードは全て「意識がタイムトラベルすると、大人の知識や記憶は(それが潜在意識であれ、無意識であれ)同時に子供の脳に届く」と解釈すれば、説明できるのです。

しかし、このヒットラーの演説イベントだけは【例外】です。なぜかと言うと、ヒットラーの演説文など暗誦した事がないので、(大人の)この私がいま過去に戻ったとしても出来ないからです。

 ドイツ語の通訳/翻訳家は国内に大勢います。また外国語習得の過程で、著名人の演説を丸暗記する事はよくあります。中には、ヒットラーの演説文を暗誦している向学者も居るでしょう。なお意外に思うかも知れませんが、標準ドイツ語のRは、巻き舌で発音しません。特殊な場合(例えば、演説等で)強調する時にだけ、巻き舌音のRを使うのです。ヒットラーがそうです。なので、彼の演説をRの(巻き舌)音まで使いながら真似できるのは(ネイティブ・ドイツ人も含めて)、そんなに多くありません。私は(大人の今も)出来ません。やればネオナチ(新・親ナチズム派)だと思われてしまうので、やりたくもありません。  この【例外】の理由は、中学生へのタイムトラベル(第3部)で判明するのですが、この時点(昭和30年代)では分かりませんでした。ただし、全然難しくもない巻き舌音に母親達が驚嘆していた事実と、私が大人になればドイツ語がしゃべれるようになるのだと幼稚園時代に強く思い込んだ(脳裏に焼きついてしまった)のは確かです。

 目をつむるだけで引き出せる映像は沢山ありました。それは、誰にでもあると思います。「宇宙探査のお仕事」の映像シーンもそうですが、私はそれを「自分の空想」だと、ず〜っと思っていました。少なくとも、平成20年に意識のタイムトラベルをするまでは。でも違ったようです(第2部・完)。

〔注1〕この"三ツ星"は、私の発案ではありません。今(2016年)はもう「アメリカの宇宙開発にオリオン星人が係(かか)わっていた」事は都市伝説になってしまいましたが、当時(昭和30年代)のマーキュリー計画では正々堂々と"オリオン座の三ツ星"を宇宙開発の象徴として使っていました。それに続くアポロ計画の初期段階でも、そうだったと記憶しています。雑誌や新聞記事のロケットの挿絵(さしえ)の背景には、必ず"三ツ星"が描かれていました。それ故、何の先入意識も持たず(幼稚園児の)私は、当然の組み合わせとしてロケットの上に描いたのです。 この"三ツ星"に関しては、2008年の記憶やタイムトラベルと全く関係ありません。

〔注2〕「カンガルー」の事を考えると、頭の中に次から次へとそれに関する映像が浮かんできました。「草原をとび跳ねながら移動する大小のカンガルー」、「草の葉っぱが口からはみ出たままモグモグと噛み続ける顔のアップ」、「幼稚園児の親指よりも小さい出産直後の赤ちゃんカンガルーが、自力で母カンガルーのお腹を袋まで這い上る情景」等、こんな動画がイメージとして切れ目なく脳裏に見えてくるのです。現代風の表現ならば、無音声のYouTube検索が頭の中で勝手に始まった感じです。映像がメインです。音声は聞こえる時もありましたが、聴こえづらいか、無声だったように、記憶しています。

〔注3〕 光速を越えた場合の計算式は、2016年の今でも、はっきりと思い出せます。前日までは時計の見方どころか、足し算引き算もまともに出来なかった幼稚園児が、この時は特殊相対性理論の時間と質量の公式を(分数の平方根まで)使い、暗算で答えを出しています。数式上は、光速に近づくと時間は宇宙の寿命より長くなり、質量は太陽より重くなり、そのままでは光速を越えられないと。この時に、次の疑問の(2)宇宙の誕生前や(3)太陽の総質量って?、を考えつきました。

実は、光速を超えるとどうなるのかの答えを私の電子頭脳は示してくれました。その結果も覚えています。当時(幼稚園児)の私は、あまりにもビックリする答えだったので、受け入れなかったのです。今(2016年)なら同意できる方が居ると思います。やはり、タイムトラベル関係の話です。サイドストーリーとして後日これについても、記すことにします。

夢の実現を引き寄せる最短ルート

・「青い靴」は以前も読んだ記憶があったのですが、今回の投稿を機に、もう一度読み返してこの投稿を読みました。理解度は三分の二位かも知れませんが、私はある事を思い出していました。

神智学をご存知でしょうか。覚者方(カルマのしがらみから抜けた方々で、人類の先輩)が、現在も過去も未来も、覚者方からすると同じです。それ故、今を生きる事が大事であること。覚者方が認識する時間と、人類の認識する時間には大きな差がある。

その話を思い出していました。わかるようなわからないような、そんな感じです。しかし今回、T.A.さんの体験談を読んでいて、過去も今も未来も同じであると言うのは、このような事を言うのではないか・・・・とうっすらと思っています。

とてもとても不思議な感じなのですが、何だか外れていないような気がします。次の投稿を楽しみにしています。

Etsukoさん(2019年5月2日)

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