

『タイムトラベル記1 未来って、今あるの?』『タイムトラベル記2 うちゅうたんさのおしごと』の著者、T.A.さんが、もう一つの驚異の体験談を三部作で発表! これらの話はすべてつながっているのか?
昭和40年代、男子高校生が文化祭で、未来が見える小学生に声を掛けた。それは偶然の出来事だったのか?
還暦(60歳)過ぎの関東在住の日本人男性です。かなり昔ですが、未来が見える少年に会った事があります。彼は自分が行くべき時刻へ(それも秒単位の時間指定で)意識を飛ばしてから、私に見た事を話しました。その時は信じなかったのですが、"未来の仕組み"についても説明してくれました(本文で詳しく書きます)。
また私自身も50代の頃ですが、退行催眠時に偶然「意識のタイムトラベル」を経験した事があります。実は、そのきっかけを与えてくれたのが、この少年(すでにおっさんになっていたけど)の存在です。まるで小説のような内容になっていますが、実際の出来事です。
でも、話はこれだけで終わりません。その50代の私の意識は中学3年まで戻り、未来(21世紀)に見たテレビ番組の記憶を持ったまま、そのきっかけを与えてくれた少年に(時間をさかのぼって)会いに行くのです。そして、彼が将来(おっさんになった時)どうなっているかを、(こんどは私が)話して聞かせます。
ややこしくて、とてもとても複雑です。未来と過去(現在)の意識が混ざり合ってしまい、上手く説明できていません(ゴメンナサイ)。これを見ている貴方は、この世界の人(つまり時間が直線上を前へ流れる3次元世界の住民)なので、読み進めると(脳が慣れていないので)疲れると思います。最初は眠くなるかも知れません。それもあり、もっとも理解しやすい順序(すなわち時系列)で書いていく事にします。
昭和30年代後半 …「シャボン玉ホリデー」ショー
私が小学校へ入学した時、家庭用がまだ珍しかった頃です。父親がテレビを買ってきました。最初の頃は、放送開始時刻の夕方になると近所の人達が庭に集まってきて、一緒に見ていました。テレビの画面を、その時間帯になると庭に向けてから、ガラス戸を開けて、皆に見えるようにするのです。でも日曜日は近所の人がなぜか来ないので、家族だけで見ました。おそらくですが、日曜日はテレビの所有者たる父親が居たので、近所の人達が避けたのでしょう。その少し前に、テレビのツマミを勝手に触っていた大人達に父が小言(こごと)を言ったのが理由だと思います。で、その父が「見るのが仕事だ」と言いながら、「シャボン玉ホリデー」という民放番組を毎週日曜日に見ていました。歌と踊りとコントを混ぜた娯楽番組です。子供向きではなかったのですが、私も一緒に見ました。
ここからが、本題です。その「シャボン玉ホリデー」で毎回、ザ・ピーナッツという双子姉妹歌手と番組ホストのハナ肇(はなはじめ) 《注1》 の3名が、同じネタのコントをやります。始めに、つぎはぎだらけのボロボロな衣装を着た双子歌手が、娘の役で登場します。当時は、これだけでも笑います。何故かと言うと、テレビに出るタレントは、綺麗に着飾っているのが普通なのに、スター歌手がボロ衣装で登場なんて(当時は)あり得なかった為です。ここで最初の笑いを取ります。続いて、畳の上に敷かれた布団からやっと上半身を起こしたハナ肇が、決め台詞の「母さんが早くに死んで、私がこんな身体(病身)で寝たきりになってしまい、すまないねぇ。おまえ達には迷惑をかける」と言ってから、娘2人に対して無理難題を吹っ掛けるのです。貧乏生活を茶化して、病気や家族の死をコントのネタにするのです。この台詞のシーンになると、条件反射でゲラゲラと笑ってしまいます。しかも、ほぼ毎週、全く同じネタでこれをやっていました。このコントをやらずに番組が終わる日も時にはありました。「あれ。今日は、やらなかったな。寝たきり貧乏人の話を」と。少し欲求不満になります。
放送コードとか倫理委員会のような機関がある今では、考えられない内容と演技。テレビ放送の創成期の事です。さて、テレビを買ってから半年後位ですが、平日にも近所の人達は見に来なくなりました。仕事だと言っていた父親も日曜日のその番組をもう見ません…母親達は、台所で夕飯の支度。「シャボン玉ホリデー」は、たいてい私ひとりで見ていました。「母さんが早くに死んで…」の決め台詞を丸暗記して翌日、そのコントを私がご近所さんに再現した事があります。誰も笑いません(番組を見た事が無いからです)。子供の私が、何をやっているのか、なんでそんなに不幸な作り話をするのか、分かってもらえません。怒りだす大人もいました。家庭にテレビが有るか無いかで、笑いの基準まで違った昭和30年代の思い出です。
昭和40年代後半 …「シャボン玉ほりでえ」君
さて、いよいよ(私の人生に)未来が見える少年の登場です。彼に会ったのは、学校の文化祭。私は高校3年生で、その時は屋外の特設ステージでやっていた1年生のバンド演奏を聴いていました。次の演目(ダンス部主催「各国のフォークダンス」)は見たくなかったので、校舎に戻ろうと歩き始めたら、前の方から、同じ3学年のI君が小学生を連れてこちらに歩いて来ます。私は、このI君とそれ迄まともに話した事はありません。苗字は知っていましたが、下の名前は知りません。挨拶(あいさつ)をするような間柄ではなかったのですが、すれ違いざま、I君に向かって「弟さん?」と声を掛けました。理由はあります。その小学生とI君が、全く似ていなかったのです。2人の印象(服装、体型、歩き方などの雰囲気)が、全く違いました。兄弟ならば、必ずある共通点のようなものを感じなかったのです。彼らの関係を知りたかったのか。好奇心かも知れません。
理由は、もう一つ有りました。文化祭に他校の高校生は来ていました。進学を希望している中学生も見かけました。でも、小学生は来ません。在校生の父母も来ません。なので(私が感じただけかも知れませんが)、人混みの中でその小学生だけが妙に浮いて…まるで一般大衆のなかに有名人(主役級の子役タレントみたいな感じ)が1人ポツンと混じっている様に…見えたのです。
I君は、とっさに振り向き「あっ、T.A.君」と私の名前を言いました。どうやら、彼も私の苗字は知っているようです。急に話しかけられて、返答を考えていなかったI君は、やっとのことで「いや。いや。違う。うちの近所に住んでる子なんだ」とだけ答えて、次の台詞を考えているようでした。前置きが長くなりましたが、要するにI君は私と友人ではなく、知人とも言えない関係。私は、通りすがりに有名人(たしかに将来はそうなるけど)が居るのを見つけてしまったような錯覚におちいり、衝動的に声を掛けたのです。
身長と服装からどう見たって小学生にしか見えないけれど、その肥満体型の男の子に対して、今度は「中学生?」と言ってみました。その子は私の方に向きかえり「〇〇××、小学〇年生です」と、訊いてもいないのに苗字と名前そして学年を言いました。とても明瞭な声で返答してきたのですが、それと全く同じ名前を私は知っていました(正しくは、知っているような気がしました)。親しい知人か親戚と同姓同名 《注2》 だと思ったのですが、誰だったか、その時は思い出すことができません(この30分後に判明します)。
その男の子の身長は高くないけど太っていたので、I君を笑わすため私は『体積的には、もう中学生だね』と返答を用意していました。でも、本人が体型の話題を嫌がるのを瞬間的に察知したので、喉まで出かかったその返答を封じて、「ふ〜ん、小学生なんだ」とだけ言いました。なぜ嫌がるのが、分かったか…テレパシーではありません。あの頃は、今の様に「いじめ問題」がニュースで取り上げられる事はなく、標準体型でなければ誰もが不愉快なあだ名をつけられ、からかわれる時代だったのです。その男の子が、嫌がるのは明らかでした。
その時、特設ステージから大きく音楽が流れてきました。次の演目(ダンス)が始まったのです。その男の子は、ソワソワし始め「(始まった)ダンスを見に行きたい」と言います。I君が同意するや、特設ステージの方に歩いて近づいて行きました。
私とI君はその男の子を見失わないよう、居場所を目で追いながら、逆にステージから遠ざかります。音楽が大き過ぎたからです。
私は「高校生活最後の自由な時間を過ごせるのに、なんでI君は邪魔っけな小学生なんか連れて来たのか。子連れじゃ、ナンパもできないぜ」と言うつもりでしたが、I君が先に話し始めます。その少年が、どれほど苦労してきたか、どれほど困窮した日々を送っているか、を話すのです。そのひとつひとつの説明に対して、私はゲラゲラ笑いながら返答して行きます。だけどI君は笑いません。ダンス・ミュージックの音に負けないよう、もっと大きな声で笑いましたが、I君は真顔で話し続けるのです。当時、こういう話題は笑いながら話して、笑いながら聞くものでした(少なくとも私の知っている友人関係では)。しかし、彼は笑わないのです。だんだんと気まずい雰囲気になってきました。I君と私は、波長が合わないようです。どこかで話を打ち切り、私は退散しようと考えていました。その時です。
I君が『彼、お父さんが死んじゃって、お母さんは病気になって家で寝ているんだ』、と。
それを聞いた時、心の中で「あっ、シャボン玉ホリデーだ。I君は凄い。この台詞の為に、ここまで話を引っ張ってきたんだ。天才だ。(笑いの)ツボを心得ている」と私は逆に笑う事も忘れ、驚きました。それからは、しばらく黙って彼の話を聞きました。どこまでが本当で、どこからが冗談なのか。ひょっとすると全部が作り話だったのか、よく分かりません。怪訝(けげん)な顔をしている私にI君が「全部、本当だよ」と言った時、その男の子が戻ってきました。
私にとってフォークダンスは(異性と手を繋げるので)するのは楽しい、だけど見るのは面白くない。戻って来たその小学生に私は「面白くなかったでしょ?」と訊くと、彼は「面白いです」と即答。私は心の中で、『んなわきゃないだろ。変な子供だ、私とI君に気を使っているのか。小学生らしくないな』と思いましたが、口にはしません。表情にも出しませんでした。
なのに私の疑念に答えるかのごとく、その子はすぐに「僕、昔からフォルクローレに興味があって、いつも見ていたんです」と私に言います。そして、以前に(あたかも)現地で(って事は中央アメリカか南アメリカ州で)見ていた様な説明をはじめます…小学生の男の子が、です。
嘘をついているような感じはしないのですが、理性的に捉えればあり得ない話です。なぜかと言えば、あの当時 "フォルクローレ"と言う単語は日本に入ってきたばかりだったので、彼が知っている筈はありません。ダンス部がステージで説明しているその言葉を、知ったかぶりで言ったのでしょう。しかも、今までどこで見ていたと言うのでしょうか。あの高校には父親が外交官や商社の駐在員で、中南米で暮らしたことのある(後日"帰国子女"と呼ばれる)生徒もいました。その国の生活や文化を実体験していますから、彼らが言うなら信憑性があります。でも、お父さんも居ない彼が、海外生活をしていたとは考えられず、さらには小学生がここで「昔から」と言う表現を使うのも変です。私は「え〜?! そうなの」と答えながらも、これ以上かかわるのを止めようと思いました。この男の子と私の波長は、I君よりも合わなさそうです。「じゃ〜ね」と言って退散しようとしました。なのにI君は、その言葉を遮り、私を呼び止めました。そして、「こいつ、超能力が使えるんだ」、と。
私は「なにっ!?」。そして、プッと噴き出しそうになるのを堪(こら)えて、「ふ〜ん」。当時、超能力者は別名エスパーと呼ばれ、かっこいい存在です。少なくとも、アニメや漫画の主人公になるエスパーは、彼の外見とは違います。もう、笑う気力すら無くなりました。更にエスパーは普通ハンサムなのですが、彼のそれは真ん丸で、外形は「シャボン玉」の様です。超能力者(エスパー)では、ありません。で、このルックスとI君の説明から、私は彼を「シャボン玉ほりでえ」(以後は、S.H.君の略称を使います)と名付けました。心の中で、ですよ。本人達には、言っていません。
さてS.H.君の超能力ですが、私が続いて考えたのは"スプーン曲げ"です。その少し前ですが、あるテレビ局の招待でユリ・ゲラー(と言う超能力者)が来日し、番組で「意志の力だけでスプーンを曲げる」特技を披露したのです。それ以後、子供たちが(意志の力ではなく)力任せにスプーンを曲げては超能力だと言っていた時期があります。たぶん、こっちの方でしょう。
私は彼の機嫌を損ねないように「スプーンを曲げられるの?」と優しく問いかけます。S.H.君は、「ええ?、え〜、違います」。 私は続けて、「じゃあ、どんな超能力を使えるの?」。彼は、I君の顔と私の顔を交互に見るだけで何も言いません。I君に説明してもらいたかったのかも知れません。話しません。なので、私から説明を始めました。
(私) 「超能力って、いろんな種類があるよね。他人が考えてることが分かる"テレパシー"。手を触れずに物を動かせる"念力"。瞬間移動するテレポーテーションとか、予知能力とか、…」
S.H.君は、私の話を遮(さえぎ)りました。そして
(S.H.君) 「違います。そんなんじゃ、ありません」、と。
(私) 「じゃあ、どんなの?」 ためらっていた彼は、やっと口を開きました。
(S.H.君) 「あの〜、、、僕、死んだ人と話が出来るんです。。。それから、オーラが見えます。。背後霊が分かります。。。。未来が見えます。過去も見られます。。」
今度は、私が話すのをためらいました。少し落ち着いたところで、
(私) 「その超能力は、ここでも出来るの?」
(S.H.君) 「はい、出来ます」
死んだ人と話をしてみたいけど、当時の私には(当たり前だけど)死人の知り合いが居ない。
(私) 「君の一番得意な超能力は、どれなの? 僕のオーラを見ることは出来る?」
(S.H.君) 「はい、出来ます」
と言うや、私の身体から20〜30cm外側の位置を見つめています。一か所を凝視するのではなく、私の外形をなめるように、視線と頭を動かして行く"動作"をします。なかなかの"演技力"です。時々、目を細めたりして、本当に見えているのかもと思ってしまいます。
私が向きを変えようとすると、「動かないで下さい」と指示されます。かなり上手いなぁと私は思っていますが、S.H.君はいつまで経っても見るふりをしているだけです。しびれを切らして、
(私) 「見えないの?」
(S.H.君) 「見えます。眩(まぶ)しくて…、ここ眩しくて」、と。
彼の説明によると、私のオーラは見えているけど、太陽光や校舎ガラス窓の反射光が邪魔をして見づらいと。
「それでは場所を変えよう」と、3人(私とI君とS.H.君)はぞろぞろ一緒に日陰に向かいます。直射日光が無くなったので、「これで見られるか」と思いきや、S.H.君は「まだ眩しい」と言います。
今度は私の提案で、下駄箱ルーム(靴を履きかえるスペース)へ向かいました。
実は文化祭の期間中だけ、校内での土足禁止が解かれていました。外履きを脱ぐ必要が無くなったので、生徒たちは今日この場所に入ってきません。中は薄暗く、外の騒音が遮られ、話もしやすくなりました。
(私) 「この場所なら大丈夫?眩しくないよね」と。彼も満足したのか「はい」と言いながら、最初と同じように、私の周囲から20〜30cmの位置へ目を凝らしています。この時、用事でも思い出したのか、I君が「T.A.(私の名前)君、ちょっとここに居てね」と言うと、どこかへ行ってしまいました。下駄箱ルームは、私とS.H.君だけになります。
I君が居なくなっても、シャボン玉ほりでえは演技を続けます。やがて、私の外周をなぞる様に、右手で指し示しながら。
(S.H.君) 「この辺が、こんな形で。こっちは、こんな感じで」
続いて私の両肩の少し上を示しながら、
(S.H.君) 「こっちの方に、こんな感じで強くなってます…」、と。
私は、オーラの色を教えてもらえると思っていたのに、彼はオーラの(おそらく)外輪を描写しようとしていました。「こっちがこんな形。ここがこんな風」を言い続けるので、
(私) 「私のオーラの色は分かる?何色なの?」
すると
(S.H.君) 「ここが赤くなっています。だんだんオレンジ色っぽくなって、ここは黄色。ここの黄色は少し暗くて、こっちは明るい。こっちから、少し青が出ていて…」、と。それまでのオーラ外輪の描写に複数の色彩情報が加わり、私の頭の中は、ぐじゃぐじゃになっていきます。
私のオーラは特定の色がなく、"まだら"色だと言っているのか。ただし、最後まで聞いてみると、私には赤の部分が多い事が、印象として残りました。S.H.君いわく、オーラの色は、日によって変わる。体調や気持ちによっても変わる。病気になると、暗くなる…と。説明が長くて、私は飽きてきました。
(私) 「ほかの超能力できる?」
(S.H.君) 「はい、できます」
(私) 「じゃあ、オーラの次に得意な超能力やって!」
(S.H.君) 「はい」
そして、私の肩の後ろの方を見ています。すぐに
(S.H.君) 「女の人がいます。2人います」
説明を私が求めると、背後霊が私には居て、その女性2人がそうなのだと。
彼いわく、死んだ人の霊が私を守ってくれている、のだそうだ。が、
(私) 「え〜!じゃあ私には今、幽霊が2体も憑(つ)いているの。こんな真っ昼間に幽霊が、出てるのかい?」
(S.H.君) 「幽霊じゃないです。誰にでも居る良い霊です…」。
この彼が言った"背後霊"は、宜保愛子(という霊能力者)が後日に"守護霊"と言う単語で説明してから意味を理解したけど、高校生時代のこの時は良く分からなくて気味が悪かった。
さて、S.H.君の説明によれば、その女性2人は絣(かすり)の着物をきていて、私の母方の祖先だそうだ。高校生の私は絣(かすり)の意味を知っていたけれど、小学生のS.H.君がよくこんな難しい単語を知っているなと、意外に感じた。"背後霊"2名の(というべきか2体の)顔の特徴やしぐさの説明もしてくれた。ただし、私は祖父母よりも前の先祖の顔を知らないので何とも言えなかった。しかしだ。そんな昔の先祖ならば、洋服を着ている筈はなく、「着物をきている」と言ったのがわざとらしくも感じた。たしかに母の実家へ行くとお婆ちゃん(母方の祖母)が、絣(かすり)の着物を着ている事はあった。だけど死んではいなかった。いつも元気に料理を作っていた(その夜、私は母に「絣の着物をきていた先祖が居たか」を訊いた。「曾祖母達は、着ていた。あの年代の人は、みんな着ていたよ」、と)。
この背後霊の話もつまらなくなってきたので、続いて予知(能力)をやってもらう事にしました。実は、私も子供時代に何回か自分の未来を予知したことがあります。的中させた事例も数回あります。予知能力に関しては、彼に勝てる自信がありました。
(私) 「予知能力を使って、どんな未来が見えるの?」
(S.H.君) 「なんでも見えます」
私は、自分に関する未来しか予知できなかったので、彼の返事はちょっと意外でした。
(私) 「じゃあ、私の未来も見えるの」
(S.H.君) 「はい。見えます」
(私) 「じゃあ、やって!」
私はその下駄箱ルームに、じっと立っています。彼も、じーっと私を見ています。オーラの時と背後霊の時は、私の周囲を凝視していたので気にならなかったのですが、今回は私の顔を見ています。私は前を向いていたので、とうぜん目が合います。それどころか、彼は私の目をのぞき込んでくるのです。子供とは言え、男性と視線を合わせ続けるのは、とても辛いです。嫌な気分になってきましたが、これをしないと私の未来が見えなくなると感じたので、我慢。
この時、2種類の気持ち悪さにおそわれます。ひとつめは、その光景。薄暗い下駄箱ルームで男2人がじーっと無言でお互いの顔を見つめあっている様子です。ふたつめは、心理的なものです。今まで人と話す時でさえ、私は相手の目を見ませんでした。目が合うのを嫌っていたからです。なのに、今はこうしてS.H.君の目をじーっと見ているのです(この時すごく不思議な現象が起こりました。これは≪おまけ≫として最終章に別記します)。
気持ち悪いなぁ〜と思いながら、この子供はいったい何をやりたいのだろうか。ひょっとすると本当に私の未来が見えるのだろうか、と心配にもなってきました。でも、この演技はヤリ過ぎです。疲れてきました。その後です。
ぼ〜っと彼の顔を見ている内に、これらの光景を見た記憶が私に出てきました。デジャブではありません。これと全くおなじ事をするテレビ番組があったのを思い出したのです。番組名は忘れましたが、進行役の男の人(子供ではなくて大人です)が、有名人ゲストのオーラを見てから、背後霊を指摘したり、顔をじーっと見つめてから前世やら未来について語る番組です。今まさに、私が顔をじーっと見られているシーンがそれです。目の前にいる男の子(S.H.君)は、その番組をマネしているだけだと分かったのです。オーラを見るところから始まり、背後霊を見てから、予知をする順番まで同じでした。私が小学生の時に「シャボン玉ホリデー」ショーのコントを真似したように、この小学生の「シャボン玉ほりでえ」君は超能力番組の真似をしていたんだ!彼の演技力(と演技の持続力)に感服です。こうなると、私が凝視されている事などまったく気にならなくなりました。
彼(S.H.君)の顔(あるいは目)を直視していると、その超能力番組に関する沢山の記憶が次から次へとよみがえります。番組は3年前頃(たぶん中学生時代まで)、熱心に毎週、見ていました。夜更かしして食い入るように1人でその番組を見ていた事。視聴率が上がり、途中から放送時間が繰り上がった事。番組の有名人ゲスト達が、自分しか知らない秘密を言い当てられて、びっくりしている表情。舞台セットが極彩色だった事…どんどん記憶がよみがえってきました。彼の予言を聞き終わった時点で、この番組を真似したんだよね、と言うつもりでした。なのに番組名だけは、どうしても思い出せません。
ただし記憶に矛盾点も出てきました。私はその番組を"真夜中に毎週1人で見ていた"記憶があります。でもこれは、あり得ません。何故かと言うと、あの頃カラーテレビのある部屋で両親が寝ていたので、(そんな事をしたら怒られるから)私が夜中に毎週1人で見ている訳がないのです。それ以外にも、私が中学生時代のカラーテレビは発色が悪かったのに、覚えている番組のセットはもの凄く綺麗な極彩色だったとか、記憶の辻褄(つじつま)が合わないのです。さらに、超能力番組と全く同じ順番で真似していると思ったけど、今日の順番を決めたのはS.H.君じゃなくて、高校3年生の私でした。なんか変だなぁ〜。
その時です。彼の声がして、我に返りました。
(S.H.君) 「高いビルの前を誰かと歩いています」
少し、間を置いて
(私) 「高いビル?」
(S.H.君) 「すごく高いビルが3つ並んでいて、その前を歩いています」
これを聞いた時、私はニューヨークの摩天楼を思い浮かべました。いつかは外国に行きたいと考えていたので、この未来はちょっと嬉しいです。ニューヨークではなくてもアメリカ、あるいはシンガポール、香港かも知れない。どこの国に居るのか知りたかったのですが、こっちの意図を読まれないように、あえて
(私) 「そこは日本なの?」と訊きました。すると、すぐに
(S.H.君) 「日本です、新宿か渋谷」と小学生が最初に思いつきそうな地名を言いました。それから小声で「う〜」と言って、何か考えるような振りをした後で
(S.H.君) 「新宿です」、と。
つまり彼の予知能力は、関東在住の私が将来"新宿を歩いている"場面を透視したのです。そりゃあ、当たるでしょう。ずいぶん長い間、考えていた筈なのに、もうちょっとマシな答えを作れなかったのでしょうか。それまでの彼の演技が完璧だっただけに、この返答には失望しました。でも私は質問を続けます。
(私) 「いっしょに歩いていた人は誰?女の人?」
(S.H.君) 「男の人です。何かの仕事でどこかに行く途中」
とても、つまらない気持ちになってきましたが、私の未来の職業を知りたくなったので
(私) 「私は、どんな服を着ているの? ちゃんと背広を着ていた?」
(S.H.君) 「はい、背広を着ています。すこし暗い青色(たぶん濃紺色)です」
って事は、わたしの将来はただのサラリーマンって事か。認めたくないな〜。
(S.H.君) 「もうひとりの人は、うすい灰色(グレー)の背広です。2人でそのビルの"横を"歩いています」
(私) 「おかしいじゃん。さっきはビルの"前を"歩いているって、言ってたぞ」と少し強い口調で問いただすと、S.H.君は「"ビルの前"も"ビルの横"も同じです」みたいな言い訳をしています。だいぶ、発言が揺らいできました。でも、まあ確かにそうだよな。もうちょっと強く質問してみましょう。
(私) 「高いビルって、何階?」
(S.H.君) 「10階かなぁ」、と。
この瞬間、彼が嘘をついたのが分かりました。声のトーンが変わったのと、それまで断言口調で話していた台詞が「〜かなぁ」と曖昧な返答になったからです。小学生の彼にとって、思いついた凄く高いビルの階数が10階だったのでしょう。彼は続けて、
(S.H.君) 「(10階)じゃないかも知れない。並んでいるビルは3つとも高さが違っていて、段々になってる(と言って、手で階段みたいなのを表現)。屋上が屋根みたいになってる」、と。
そこからは、私が続けて「つまり一つ目のビルが11階、次が13階、三つ目が15階みたいで、それが並んで階段状に見えるって事だね。その3つのビルの前を私が誰かと歩いているんだね?」と、確認を取ります 《注3》 。S.H.君はうなずき、それに同意しました。
『未来が見える少年』第2部を読む
注1:その当時、人気の男性コメディアン・グループ「ハナ肇とクレージー・キャッツ」のリーダー ↑元に戻る
注2:この少年の本名ですが、前半が(私の)父と同じ。後半は私の名前です。聞き覚えがある筈です。苗字は全く違いますが、親戚に同じ名前の従兄弟が2人いました。↑元に戻る
注3:あの当時(昭和40年代後半)、新宿で一番高いビルは小田急百貨店の12階だと思っていたので(いまWikipediaで調べてみたら14階でした)、こんな説明を私はしました。(現在の)新宿副都心には、もっと高い京王プラザホテルがありました。ですが、あの頃のあの辺りは(淀橋)浄水場跡地で、新宿ではありません。それ故、これが(高3の)私なりに描いた精一杯の近未来新宿ビル群だったのです。
今(2018年)この文を読むと、3つ階段の様に並んだビルは新宿パークビルまたは都庁第二舎庁ビルの事だと分かります。で、私ですが昭和63年4月から、これらのビルに隣接する(と言うか”前”に建つ)新宿NSビルへ週1で2年間続けて、請け負った仕事をする為、チームで通(かよ)っていました。チームと言っても、大抵はリーダーの私を含めて2-3名です。なお私達ですが、「シャボン玉ほりでえ」君が予知した(と思われる)ビル群の前を、何十回も歩いて通(とお)っています。
濃紺色のスーツは持っていましたが、当時(私が)着ていた服装までは覚えていません。ですが、チームの常連、部下のK君のスーツはグレーです。なぜ覚えているのかと言えば、彼はグレーしか着ないので有名だったからです。社内で、その話題になった後に、新調した背広もグレーでした。忘れる訳がありません。
S.H.君は、本当に十数年先の新宿を見ていた可能性が高いです。 ↑元に戻る
夢の実現を引き寄せる最短ルート
・まってました! 長文なのに読ませる、読ませる、面白い。
あのにますさん(2019年8月8日)