

アメリカで生後すぐに生き別れになった双子の兄弟が、39年後に再開し、驚くほど似通った人生を歩んでいたことが明らかになりました。
生まれてすぐ別れ別れになった双子が39年後に再会、二人がたどった人生を比較してみたら……?
1940年のことです。米オハイオ州で一卵性双生児の男の赤ちゃん二人が生を受けました。母親が15歳で未婚の少女だったので、二人とも生後3週間の時にそれぞれ異なる家庭に養子に出されることになりました。一人はルイス家(オハイオ州・ライマ市)に、もう一人はスプリンガー家(オハイオ州・ピクウェー市)に引き取られました。両家の間には60q以上の距離がありました。また、両家の人々はお互いに面識が一切ありませんでした。
ルイス家とスプリンガー家の養親は奇しくも養子をジェームズと名付けました。
両家の養親は、赤ちゃんをそれぞれ引き取った際、双子の片割れが死産だったとデマを教えられました。そんな中、ジェームズ・ルイスが1歳と4か月になった時、養母が養子縁組の手続きをするために裁判所を訪れました。その際、担当職員が何気なく「もう一人の子もジェームズと名付けられたんですよ」と漏らしました。
それから39年の間、上記の職員の言葉が養母の心にずっと引っかかっていました。そこで養母は息子に、生き別れになった兄弟を探すよう時おり促したといいます。そして1978年の11月、ジェームズ・ルイスはついに自分の兄弟を探すことを決意しました。
ジェームズが検認裁判所に問い合わせの手紙を送ったところ、同所に養子縁組に関する書類が保存されていたので、スプリンガー家の養親に連絡がいきました。ある日、ジェームズ・ルイスが帰宅したら、一通の手紙が彼を待っていました。その手紙にはジェームズ・スプリンガーに電話するよう記されていました。電話して「君は僕の兄弟なのか?」と尋ねたら、相手は「そうだよ」と答えました。それから4日後の1979年2月9日に、39歳の二人は感動の再会を果たしたのでした。
二人はそれまでの歩みを語り合い、その結果、驚くべき事実が明らかになりました。
学生のころ、二人とも数学が得意科目で、スペリング(英語のつづり)は苦手だった。二人とも大工仕事が得意だった。
二人とも警察関係の職に就いた。ジェームズ・ルイスは警備員に、ジェームズ・スプリンガーは保安官代理になった。
二人ともラリーという名の義理の兄弟がいた。
二人ともリンダという名の女性と結婚した。
二人とも息子をもうけ、ジェームズ・アランと名付けた。
二人とも最初の妻・リンダと離婚し、ベティという名の女性と再婚した。
二人とも愛煙家で「セーラム」というタバコを吸っていた。二人とも片頭痛持ちだった。
二人とも愛車はシボレーだった。
二人ともフロリダの同じ海岸に休暇旅行に出かけた。
二人ともトイという名の犬を飼っていた。
そしてもう一つ。二人とも心のどこかに「空虚感」を抱いていたのに、再会後にそれは消滅したそうです。