前編に引き続き、T.A.さんの体験談をどうぞ!

≪ 卒業証書 ≫

 この章は、本を読んだ私の読書感想・・・長文です。タイムトラベル・ネタとは関係ありません。お急ぎの方は、末章≪タイムリープの検証≫へ直行して下さい。さて、

 小池ユリ子女史の留学私記『振り袖、ピラミッドを登る』ですが、勇んで買っては来たものの、書棚に置いたとたん満足し、読まなかったのです。それから、どの位経ってからかは覚えていません。おそらく、数週間後か数ヶ月後です。私も、アラビア語の勉強を始めました。で、その時期、思い出した様にこの本を読んだのです。一気に読みました。1日半で完読したと思います。

 最初から驚きです。日本では全く勉強していないアラビア語を、現地(エジプトです)の(アラビア語だけを学ぶ)大学予科で1年間勉強しただけで、カイロ大学(エジプト首都の国立大学)へ入学します。想像してみて下さい、日本語を全く知らない(それも漢字文化圏ではない国から来た)外国人が、来日してたった1年間勉強をしただけで東大や京大レベルの大学へ入学するのと同じです。海外生活に慣れるだけでも大変なのに、大学レベルの会話力を身に着けたという事です。

 で、ここまで読んで私(T.A.)が思った事ですが…この文節は長いので、以後は〔T.A.読後〕と略します…「凄すぎる。秀才じゃない、ほんものの天才だ」です。

 で、最初の授業が始まる前から、苦労は始まります。教室の椅子よりも、受講生が多い為に、彼女は座れなかったのです。毎時限の椅子取りゲームに負けては、立って授業を聴く羽目になります。ですが、この問題を彼女はエジプト式に解決しました。ワイロです。と言っても現金ではなく、ポケットに潜ませたチョコレートを使って「これあげるから、席を譲れ」です。小池氏本人は、これを「進駐軍的行為」と書いています(本文21頁2行目)。この時から、上から目線が始まっていたと、言う事ですね。ハハハ。

 さて授業ですが、同級生たちは、みな熱心にノートをとっているのに、彼女(小池百合子氏)は全く聴き取れません。時々、接続詞が聴こえるレベルだったそうです。

 〔T.A.読後〕:「そりゃ、そうだろ。非イスラム圏の外国人が、たった1年間の学習で到達できるレベルは、小2か小3レベルの会話力だからな。無理に決まってる」

 結局、小池女史はマグダと言う同級生と親しくなり、毎日ノートを借りては、それを書き写させてもらうのです。そうして努力を続けて、1年後の進級試験の日。配布されたテスト用紙は、教授直筆のガリ版刷り。字がろくに読めません。読めても、問題の意味すら分かりません。けっきょく、取れた単位は(英語科目などの)3教科だけ。

 貼り出された成績発表をマグダと一緒に見に行く。マグダは合格。小池女史は不合格、第1学年の留年が決定する。その時のマグダの言葉、「ユリコは駄目だったの? 学年が違っちゃうわね。寂しいわ」(本文53頁7行目)。

 〔T.A.読後〕:ここまで読んで、ちょっと身体が震える位に、私(T.A.)は感動してきました。まだ読んでいないけど、この成績最底クラスから首席卒業まで登っていくストーリーが目に浮かんできたのです。著者の略歴には、1972年 カイロ大学・文学部社会学科入学。1976年 同卒業。と記されている。つまり4年制大学を4年で卒業する訳だから、どこかで飛び級をする筈です。そして親友のマグダと再び同じ学年になる…読む前から、私の胸は高鳴りました。

 そんな事もあって、感動シーンを探して、最後まで一気に読んだのです・・・・・が、この本の中には、それらのクライマックス・シーン(飛び級して喜ぶ状況、マグダとの感動の再会、自分が首席だと知った瞬間の気持ち、etc)が、まったく書かれていません。それどころか、落第した日から卒業までの3年間の勉強に関する記述がありません。

 本の最初から、56ページまでが、入学初日の授業から、第1学年を留年するまでの苦労話。それなのに、そこから最後の278ページまでのどこを読んでも、3年間の授業の思い出や具体的な家での勉強方法などが、まったく書かれていないのです。唯一、勉強についての記載は、「生活費がなくなりかけるとアルバイトをし稼ぎにいそしむ以外は、毎日が試験勉強。高校時代に、これだけ勉強していれば東大合格間違いなしだったろうに……。(本文57頁1行目。原文まま)」だけです。

 進級試験に関する記載も、「一年目は落第・・・二年目は奇跡的に合格し、進級できた・・・。翌年も、その翌年も・・・」(本文58頁9行目)としか書かれていない。いくらなんでも簡略化しすぎだ。

 そして、いきなり本の題名『振り袖、ピラミッドを登る』のエピソードの項目がある章(本文58頁14行目以降)に、なる。そこには、

 「ピラミッドの頂上をきわめることは、私にとっての憧れであり、エジプト留学征服の象徴であった」、「4回目、すなわち卒業の年の最後の試験・・・」、「しかし最後の試験を終え、自分の名前の横に赤ペンで書かれた『合格』の文字を見つけた時には、またピラミッドが宝の山のように燦然と輝き始めた(本文59頁13行目)」等と、文節が重複したり、読みづらい長文章が羅列されていたり。前項の簡略文とあまりにも対照的だ。文脈も破綻していた。

 ここの項目だけ他の記載と、文体(ぶんたい)が異なり、「ピラミッドを登る」ことと「合格の喜び」を無理やり関連付けている様に私(T.A.)は思えた。

 難解なこの部分を分かりやすい平文(ひらぶん)に直せば、著者は「進級試験の締めくくりとして、合格できた際は、毎回カイロ市内の高い所に登った。卒業試験に合格できたあかつきには、ピラミッドを登るつもりでいた。なので、『合格』の文字を見た時は、すごく嬉しかった」だ。この心理描写を『--宝の山の様に燦然(さんぜん)と輝き始めた--』と、詩的に表現したのだと、思う。

 〔T.A.読後〕:最終頁まで読み終えてから、再び「--自分の名前の横に赤ペンで書かれた『合格』」の文字を見つけた時には--」の部分を読み返した時、私は「これは、創話(そうわ:著者が作り出したフィクション)だ。この人は(著者は)、ウソをついている」と、確信した。

 もしも、貴方が大学を首席で卒業した方なら、分かる筈だ。こんな文章にはならない。心理描写が、あり得ないのです。説明します。

 一般の(つまり体育系、芸術系ではない)大学に在籍している優等生(成績上位者)は、自分の成績順位が1番だったか2番だったかはやはり気になる。でも、自分は進級できるのか、あるいは卒業できるのかは、まったく心配していない。(合格はもう決まっているのだから)そんな事は、考えてもいない。掲示板で、自分の名前の横に『合格』の文字を見つけたとしても、当然の結果だと思うだけで、感激などしない。ましてや、その気持ちを、美しく詩的な文章で表現する事はあり得ない。

 と言う根拠で、私(T.A.)はこの著者はウソをついてると判断した。それ以外にも、文体や文章の流れ、あるべきエピソード(2学年から卒業までの大学構内での話など)が欠如しているなど、不審点が多すぎる。どこからどこまでが創話なのかは分からないが、とにかくウソはある。

 では、続き。著者は、卒業試験の合格を知って、ピラミッドへ向かう。警備員に見つからないよう(登頂は禁止なので)、朝の5時から登り始める。が、見つかってしまった。でも、この時もエジプト式に解決する。値段交渉の末、3ポンド(約900日本円)のワイロを「戻ってきた時に」手渡す口約束で、登頂を続けるのだ。そして、頂上に着いてから振り袖に着替えて記念写真。それが、この単行本のタイトルになり、その写真が本文62頁に掲載されている。なので、ここの部分に、ウソはないと思う。ちなみに、降りる時は、登った時の正反対の面から下りた。「誰が3ポンドも払うものかと、さっさと車でオサラバ」(本文64頁4行目、原文まま)と、書いてあった。5年のカイロ滞在で、エジプトでの生き方を身に着けたのも、ウソじゃないな。続けます。

 これ以降は、エジプト滞在中の(いつの事かははっきり書かれていないけど)多くのエピソード…習慣の違い、文化の違い、民族性の違い、等など…が、筆者の目線で書かれています。読むと、とても面白いです。ただし留学生活と直接には、関係ない話なので、ここでは割愛します。そして最終章に圧巻のエンディング「私の会ったアラブの指導者たち」が、用意されていました。

 小池女史は1974年(カイロ大入学から3年目、第2学年時)、日本の国会議員に付き添う形で、サダト大統領に謁見します。正式通訳は、日本大使館員の専門家がしているのですが、日本人女性の彼女がアラビア語で挨拶すると大統領は驚き、続けて「カイロ大学の2年生です。奥様と同じ文学部で勉強中です」と言っただけで意気投合してしまいます。大統領夫人のジハーンさんは、子育てが終わり40歳過ぎてからカイロ大学に入学して、彼女と同じキャンパスに居たのです。その謁見時の帰りに、ジハーン夫人から「また遊びにいらっしゃい」と声を掛けられます・・・で、それは、4年後に実現します。

 続いては、別の国。ここからは、もう日本でテレビ局の仕事をしていた頃なので、留学生時代のエピソードではありませんが、リビアのカダフィー大佐との謁見を申し出て(おそらく日本人女性からの依頼だったので、珍しさもあり)あっさりと対談までこぎつけます。それだけで終わらず、(そこから500km離れた)カダフィ大佐の実家へ行って、両親に会う許可までもらうのです。実父はリビア人、実母は(あの沢尻エリカと同じ)ベルベル人でした。もちろん、テレビ用のインタビューも挙行。

 で、その後に、やはりテレビ局の取材で、PLО(パレスチナ解放機構)のアラファト議長とも対談しているのです。

 今日は急いでいるのでこれ以上は書きませんが、この最終章「私の会ったアラブの指導者たち」には一読の価値はあります。興味のある方は、中古本を購入して、ご自身でお読みいただければと思います。

 〔T.A.読後〕:私はこの章を読んだ時、放心状態になりました。その位、驚いたのです。記事の内容ではなく、この3人に会ったという事実です。写真付きなので、これらもウソではないと思います。ただし、今の読者の方は、ピンとこないかも知れません。なので、これと同じことを当時のアラブ世界でなく、2020年のアジアに置きかえて見ましょう。この著者がやった事は、

 ・・・・はるか遠くの国から日本にやってきた1人の女子留学生が、彼女の母国の国会議員のお供で、皇居に赴く。その時に天皇陛下と仲良くなり、ついでに皇后陛下とマブダチ(親しい間柄)になる。後日、テレビ局で働き始めた彼女は、中国の習近平主席と対談し、ついでに実家まで赴き、御両親のインタビューを行う。それから北朝鮮に向かい、厳重に警備された建物内で、キムジョンウン委員長にテレビ取材を行った・・・・

 と同次元の事だと考えれば、少しは私が驚いた理由が分かると思います。まあ、ともかく圧巻のエンディングでした。

 で、あとがきには、こう書いてあります「ピラミッドの頂上をきわめて、私のエジプト留学は終わった。卒業式などまったくなかった。正式の卒業証書が手に入ったのは、なんと2年後であった。1枚1枚が手書きだからである」(277頁1-3行目、原文まま)

 〔T.A.読後〕:本を読み終えた私は、内表紙に掲載されている卒業証書の写真を見ました。つたない私のアラビア語でも年月日ぐらいは読みとれます。一部分は、隠されて見えませんでしたが、「1976年10月の卒業試験日」と「1976年12月29日の(卒業試験)合格日」と「1978年11月(卒業証書)発行日」は判読できました。あえて書けば、コイケ女史の生まれ年の部分「1952年」だけが(手書きだからかも知れないが) 斜め左に傾き、かつ下線が引かれていた。で、そこだけ、文字の太さも筆圧も筆の流れも違った。この部分だけ、後日に加筆された、と私(T.A.)は考えています。但し、これをもって、証書は偽造されているとは思えません。

 気になったのは、合格日が12月29日と書かれていた部分。ピラミッド登頂は、夏の時期だった筈です。この点が、少しだけ気になりました。 

 読書感想文は以上です。では、今からこの章のタイトル「卒業証書」の話をします。

 今年の6月上旬かな、東京都知事選の立候補受付が始まるまでに、都議会で何度も「小池都知事の学歴詐称疑惑」が取り上げられ、マスコミも騒ぎ始めました。ついに、2020年6月15日の政策発表記者会見の場で、小池都知事は現物の「卒業証書」と「卒業証明書」を公開します。

 にもかかわらず、多くの識者が(学歴詐称)疑惑を、唱え続けました。根拠の多くは、『振り袖、ピラミッドを登る』に書かれている内容から、「第1学年で留年している人物が、4年間で卒業できるわけない」です。中には、エジプト式に(つまりワイロを使って)卒業証書を入手した、とか。コピー機をつかって、偽造しているとか。他の本物のカイロ大学卒業生の証書写真と比較して、相違点を指摘している機関誌もありました。

 で、私(T.A.)が言いたかった事・・・小池氏のあの「卒業証書」は絶対に本物ですよ。偽物である筈がない。卒業はしていないだろうけど、「卒業証書」自体は、カイロ大学が発行した本物でなければならない。もし違っていたら、あの時のカイロ大学の学長は、首をとばされています。「偽物だ!」と騒いでいる皆は、1978年のあの事件を知らないのでしょう。では、説明。

 1977年11月にエジプトのサダト大統領が電撃的に敵対国のイスラエルを訪問します。それにより、エジプト・イスラエル間の直接交渉が始まり、翌1978年1月から両国で和平交渉会議が重ねられます。7月になるとアメリカも加わり、3国外相会議が行われ、1978年9月にはアメリカのキャンプ・デービッドで行われた3国首脳会談で「平和条約締結構想」がスタートします(これを「キャンプ・デービット合意」と言います)。カーター米大統領の功績です。やがて臨戦態勢から平和状態になったエジプトへ、欧米諸国が経済支援協力を表明します。日本政府もエジプトへの「経済支援」を公言しました。そのとたんサダト大統領は夫人を伴って、日本に来ます(経済支援の具体的な要請ですよね)。突然決まった公式訪問です。キャンプ・デービット合意の直後(つまり1978年秋)の事でした。

 日本の新聞各紙には来日前から、経済支援の具体的な内容「道路整備に○百万ドル、戦争で破壊された公共施設の再築に○千万ドル、・・等」及び支援金の(ドルを日本円に換算した)総額が見出し記事に載っていました。エジプト再建に協力する日本側の組織や企業名も列記されています。ところがです。大統領夫妻が来日すると、新聞に記載される「経済援助の総額」が毎日、ジリジリと上昇していったのです。何億ドルだったか、忘れましたが、離日時の朝刊では、金額が1桁増えていました。

 日本側が準備していた経済協力の内訳を、相手国側が拒否し、しかも全額を現金で要求するなんて前代未聞でした。初めての事だったので、日本全体が奇妙な感覚に包まれます。しかし中東で1つの戦争が終わった喜びの方が大きく、平和社会の為の経済協力金なのでいくら高くても損をした感じはありませんでした。サダト大統領一行は、笑顔で離日。

 で、その裏で、いったい何が起こっていたのでしょうか。実は、来日時のサダト大統領夫妻には、謎の日本人女性がいつも傍にいました。朝から晩まで、大統領夫妻と一緒に居ました。そして、外務省の担当官にいろいろな要求をし、日本政府との交渉にまで(日本語で)口をはさんでくるのです。

 この時、驚いたのは、日本側だけではありません。大統領の随行員たちも、不思議に思っていました。エジプトの政府高官が入室出来ない夫妻の寝室まで、彼女はフリーパスで入って行けたのです。ただし、エジプトの為に働いていたのは確かで経済協力金が、巨額になったのは、彼女が交渉してくれたからです。しかも、無料奉仕です。

 誰だったのでしょうか。気になります。でも当時、ニュースの中継映像を見ていれば、そこかしこにその謎の女性は映っています。廊下を歩く時は、大統領夫妻と一緒に。記者会見場では、部屋の隅っこに。朝は、その日に発売された全社の新聞紙を抱えて(ホテルのロビーを抜けて)、夫妻の寝室へ直行するのです。当時は誰も知らなかったのですが、(顔を見ると)若き日の小池百合子さんです。貴方も将来、タイムリープのやり方を習得した後で(1978年に戻り)、見てみれば分かります。

 

 私(T.A.)の論理的な思考をする大脳は、「いくら手書きだからと言っても、卒業証書の発行に2年間を要するのは、あり得ない」と判断します。卒業生は毎年いるのに、その卒業証書の作成に2年間では、計算が合いませんからね。で、もし仮に私が小池女史だったとしたら、ですが。あの時に大統領夫妻へ「本物のカイロ大学卒業証書がほしい」と、オネダリしたと思います。サダト大統領の来日が、1978年の秋。卒業証書の発行日が、1978年11月。こちらの計算は、ぴったり合います。

 ついでなので、「卒業証明書」の事も書きます。

 小池百合子氏の学歴詐称疑惑報道は、今回が初めてではありません。1992年に参院選で初当選した時から始まっています。それ以降、何回か、ひょっとしたら十数回あったかも知れません。一番おもしろかったのは、私は「サッチー騒動」の時だったと思います。

 これは野村沙知代(元野球選手/監督/評論家 野村克也の奥さん)という女性が、1996年の衆院選に(当選はしなかったが)立候補した際の経歴「アメリカ合衆国のコロンビア大学卒業」が虚偽だったのではないかと、後日(1999年以降)大騒ぎになった事件です。2年間位、世間は騒いでいました。最終的に検察の捜査員が渡米し、コロンビア大学で調査を行ったけど、当時の留学生は学籍原簿が残っておらず、「経歴詐称の証拠は得られなかった」で事件は決着しました。この頃に、とばっちりで「小池百合子議員の学歴も捜査しろ!」になり、マスコミが追いかけました。2週間ほどですが、なんと小池議員は雲隠(くもがく)れしたのです。私は「疚(やま)しい事でも、有るのかなぁ〜」と思いました。

 そんなこんなです。先日の「卒業証明書」も週刊誌等を通して公開されていました。しかし、その当時も今回と同じように「偽造されている」とか、「学長のサインがされてない」とか、「エジプト式にワイロを使った」とか、ボロクソに言われたのです。でも、私(T.A.)は、小池氏が週刊誌を使って提示した当時から、「卒業証明書」も絶対に本物だと思っていました・・・たとえ卒業はしていなくても、です。説明します。

 初当選した小池百合子議員が国会で最初に主張したことは、「自分は、日本とエジプトの架け橋になる。両国の友好を促進したい」です。で、その年度内だけで、7億だったか8億円の予算が認められます。最終的には、13億円近くまで増額されました。そして彼女は、その予算を使って母校のカイロ大学にエジプト初の日本語学科を創設しました。これが議員としての初仕事、そして名実ともに彼女1人の功績。これにウソは、ありません。

 では、13億円を貰ったカイロ大学側は、どう思ったでしょうか。当時は大卒者の初任給が23ポンド(約6,900円)ですから、日本と物価が大きく違います。私たちは、そのお金が日本国の予算だと認識しています。しかし、そのトンデモナイ大金を受け取るカイロ大学側は、そんなことは思っていません。「小池百合子先生が、私達に持ってきてくれた」と感じていた筈です。

 そのカイロ大学の恩人である小池女史に、「卒業証明書を出してやるから、ワイロをよこせ」とは言わないと思います。偽物の卒業証明書を渡す事もあり得ません。卒業をしていようと、卒業していまいと、そんな事もかまいなせん。必ずや正式の証明書を発行してくれる筈です。

 要するに、小池女史が公開した2つの証明書は、本物だと言う事です。ただし、卒業年月日は、どれも違っています。本の中では、(おそらく)7月に卒業。証明書では、10月に卒業。証書では、12月29日卒業です。なんで、違うのでしょうか。学籍番号で調べてから、記入すれば良いのになぁ〜、と思ったのは私だけでしょうか。

 余談です。砂漠地帯にあるピラミッドの登頂は、暑いイメージがしますよね。でも乾燥地帯なので、陽が沈めば、気温は急激に下がります。明け方が、一番寒いのです。私(T.A.)が、ギザのピラミッドで夜景を眺めた時(8月です)は、ダウンジャケットを羽織っていました。もし12月30日の明け方に、振り袖でピラミッド登頂したら、凍え死にします。

 P.S. どうしても学歴詐称を追及したい方だけに、内緒でお教えします。

 公開された「卒業証書」と「卒業証明書」は、個人の学籍番号にあたる「大学における登録番号」の部分が、空白になっています。消去した痕跡も認められません。最初から書かれていないのです。 これでは、在籍中の経歴も卒業試験の合否も調べられませんし、同姓同名の学生がいれば見分けがつかなくなります。番号の記載が無いパスポートや運転免許証と同じです。学籍番号は、1名につき1つです。生涯、変わりません。死んでもです。この部分だけは、ウソが書けないから、空白になっているのです。

≪ タイムリープの検証 ≫

 私は、この投稿文を書き始める少し前に 『1982年頃の本屋に居る自分自身に時間退行し、将来100万円の値をつける本を1冊買う』 というタイムリープの検証実験を計画していました。そして、実験が成功しても失敗しても、結果の公表をする事まで考えていたのです。ところが、実験を始める前に『その本を買っていた』事を思い出してしまいました。困りました。起承転結の生じる順番が、(時間的に)入れ替わってしまったのです。それどころか、計画したタイムリープ実験は、開始していません。これをどう解釈したら良いのでしょうか。

 1982年の書店に居た私は、未来の自分にタイムリープされていなかったのかも知れません。可能性は有ります。他のタイムリープ(された時の)体験では、たいてい自分の身体の中に2人分(つまり自分ともう1つ別)の意識がありました。しかし、書店に居た私の意識は、常に1人分でした。ただし、書店に入ってからの約1分間は、自分(本人)の意識が消えていました。憑依(ひょうい)されたと私が考えていた時間帯です。あきらかに自分の身体が別の意識に支配されていました。そして『単行本のコーナーへ向かい、将来100万円の値をつける本』を手に取ったのです。こんな事が偶然起こるとは考えられません。やはり、あの瞬間に(未来の自分による)タイムリープがされていたと考えるのが妥当でしょう。

 次の可能性として、これから先のどこか将来で、この私がタイムリープを試行し『本屋に居る過去の自分の身体へ退行し、単行本を1冊買う』命令を下す事です。とはいえ、このタイムライン上に居る私は、もう本を買った事を知っています。その事実を無視して、不自然な命令は下せません。あるいは、もう1冊(つまり合計2冊)を購入させるプランも考えられますが、まったく知らない新刊本を過去の(若い)自分が2冊買う事は考えられません。つまり若い時の私は、無駄金に思える1000円近い大金(つまり980円)の出費を拒否するだろうと、言う事です。

 望ましいエピソードとしては、『過去の書店に居る自分に、本を買わせる』タイムリープ実験を行った後で、その単行本を買っていた事を思い出せば、良かったと思います。そうすれば、全ての辻褄(つじつま)が合い、この投稿文もスッキリ分かりやすく書けた筈です。まあね、でもそうは成りませんでした。残念!

 もう少し、思考範囲を拡げましょう。『本を買わせる』タイムリープ検証実験を立案中の私の意識が、そのまま時間退行して過去の自分にとんでいた可能性です。考えただけで、意識が時間移行するのです。実験前に部屋を薄暗くし、心身をリラックスさせ、自己催眠状態になってから、脳内の3ヶ所を同時に活性化させる手間ひまを掛けなくても、私はタイムリープが出来たと言う事です・・・生まれつきのタイムトラベラー体質なのか、俺は?

 ごめんなさい。今回の話は、まだ検証も分析もできていません。「まったく分かりません」が、正直な気持ちです。ただし、タイムリープ(意識のタイムトラベル)現象は起こったと思っています。もっと時間を掛けて考察すれば、疑問点のいくつかは解消できるでしょう。でもタイムリーな話題なので、早く送らないと、面白みが消えます。このまま投稿させていただきます。 以上です。 『100万円の中古本』 (完)

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・TAさん、お返事いただけますか?

結局、タイムリープの具体的な方法がよくわからなかったのですが、もっと詳しくお教えいただけないでしょうか?

また、本当にタイムリープできたという確信がおありであれば、その時の体験談ももっと詳しく語ってはいただけないでしょうか?お願いします。

Hさん(2020年10月16日)


・読者ではなく、著者のT.A.です。昨日(2020/10/7)、年下の知人から「どうして本物のカイロ大学卒業証書がもらえたのか、分からない」と言われました・・・ゴメンナサイ。たしかに、説明不足でした。42年前のサダト夫妻来日を覚えていない読者には、難しかったと思います。

1970年代のエジプトは、サダト大統領が独裁する軍事強国でした。アメリカがバックにいるイスラエル国ですら、手を焼いていたのです。だからこそ欧米が「戦争をやめるのなら、経済支援をする」と表明したのです。でも日本国に、利害関係はありません。なのに1978年の秋、その独裁者サダトへ、(日本のゼネコン各社が現地で、道路やら施設をつくってあげる)経済支援協力の代わりに、(現在の換算価値で数千億〜数兆円に相当する)米ドルを差し出したのです。ある謎の日本人女性の暗躍でね。

コイケ女史はエジプト留学時代から、ワイロの使い方を熟知していました。その対価を求めなかったとは思えません。成果を自慢したい性分も持ち合わせているので、自著の内表紙に成果である「卒業証書」を載せたのです。偽物ならば意味をなしません。なので、これは本物。

エジプト国民にとって、サダト大統領は独裁者と言うより、神(かみ)に近い存在でした。国民投票では、サダト大統領が毎回99.8%支持されていた程です。「カイロ大の卒業証書を発行せよ」と命ずるのは容易(たやす)い事で、それを大学の学長が拒否することはあり得ません。

卒業証書をカイロ大学が発行した理由は、サダト大統領が命令したからです。

T.A.さん(2020年10月8日)

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